たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「会社辞めてネットで生きる」と宣言する人のカンチガイ

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澤田が再三書いてることなんだけど、「今の職場を辞めて好きなことをしながらネットで生きる!」と宣言する人がTwitter界隈にまだまだ存在する。

もちろん、その人が何を生業にするかは自由なんだけど、そういうことを情報商材の宣伝文句に使ったりするからあとでいろんなトラブルが起こる。「資本金なし、コネなし、スキルなしからネットで独立!」という謳い文句の情報商材は、Twitterでよくあるよね。

そういう書き方をしている人間は疑うべきだ。断言するけれど、「ネットで生きる」だなんて公言しているのは山師以外の何者でもない。

澤田にしろ他のWeb物書きにしろ、「ネットで生きている」わけじゃない。己の最善を尽くせる職業が、たまたまネットを利用するものだったというだけだ。

それこそ昔の物書きは「自分は会社じゃまるで使えねぇ奴で、それは自分でも骨の髄まで自覚していた。だから作家として独立したんだ」だなんてことをよく言ってた。その身の上に脚色してやる必要はないと、澤田は思う。なのに、「自分は使える人間だ」ということを無理やり演出し、己が凡庸であることを受け入れられない人が多過ぎる気がする。

みんなガンダムを目指そうとする。別にジムでいいじゃないか。ジムにだってジムキャノンとかジムスナイパーとかいろんなバリエーションがあって、自分に合った武装(スキル)を少しずつ身に着ければいいだけなのに、まるでガンダム以外はモビルスーツじゃないという考えに縛られている。

 澤田の仕事はネット環境さえあれば世界中どこでもできる仕事。それは間違いないんだけど、だからといってそれを他人様に勧めようとは絶対に思わない。

この前、ジャカルタでPCからiPhoneからiPadまでごっそり盗まれた。これで仕事ができなくなっちまった。仕方なく現地で新しいPCを買って、急場を凌いでいる。

「ネットで生きる」ということは、それを操作する端末がなくなっちまったらたちまちのうちに崖っぷちへ追いやられるということだ。あと、すべての災いの対応は全部自分でしなければならない。

それらをすっ飛ばしてネット稼業の美しい面ばかりを語る人間は、やっぱ信用ならない。