たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

かりあげクンは、人生に大事なことを全部教えてくれた

「脱社畜」という言葉を流行らせた人の真意は、何も会社員を辞めるということじゃない。

会社にいながら、自分の最低限の権利と自由を行使するという意味で「脱社畜」という言葉を使った。

それが今では「脱社畜=会社員の否定」という感じになっている。「会社員は誰しも会社という組織に縛られている。フリーランス最高!」という考え方が、オンラインサロンを通して浸透してしまった。

言葉が曲解されてるわけだ。

 

小学校低学年の頃の澤田は、「将来何になりたい?」と聞かれて「八丁堀の十手持ち」と答えたことがある。

その頃から時代劇、特に大岡越前を観ていて、大坂志郎演じる村上源次郎は澤田にとってのヒーローだった。立花喬之助の初出勤の回を観て、こんな奴にできるんなら自分も同心できるぞ、と息巻いていた。本当に爺さん臭いガキだったと思う。

そこから少し大きくなり、いよいよ中学校に進学するかという時にはほんにゃら産業への就職を希望していた。もっと具体的に言えば、第一志望はほんにゃら産業で第二志望はドクタケ城。三十路になった今でも、もしこの2社が求人を出していれば応募しようかと考えてる。

かりあげクンのいたずらはよく真似したし、このキャラクターのように自分もなりたいと本気で考えたこともある。いや、今でもそうだ。

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かりあげクンは安月給の会社員。残業だってしょっちゅうやる。けれど、彼が社畜とはどうしても思えなんだ。

木村課長とは何だかんだで仲がいいし、しばしば旅行にも出かけている。いろんなスポーツにもチャレンジしている。少ない給料で極力金をかけずにこれだけのアクティビティーを楽しんでるんだから、かりあげクン社畜なわけがない。

でもこれって、結局は心構えの問題じゃないのかな?

確かに、心構えではどうにもならないほどのブラック企業は存在する。澤田はそういう会社で心も体もボロボロにした後輩に起業を勧めたことがある。どうせこの先、同じような会社にまた務めるくらいならテメェでビジネス始めたほうがいいぞ、と。

けれど、理性的に考えてこの世にある企業の大半はブラックでもホワイトでもない、グレーな色合いの会社なんじゃねぇか?

理不尽なところは多々あるけれど、それは社員を過労死させるようなものじゃない。一応は上手くやれている。それだったら、何も無理に会社を辞める必要もない。

それを「会社員は皆社畜」と無理やり論理立てて、何の技能もないフリーランスを大量生産してそれを実績にしちまうようなオンラインサロン(とその主宰者)には羞恥心というものがないらしい。

 

フリーランスというのは、10代20代の頃に磨いた技能を発揮できる人間だけがなるものだ。

しかもその技能は、試験で認定されるようなものでもない。セミナーに何度か通ったらすぐに身に着くものでもない。たとえば澤田は、まあマトモな文章を書くまでに10年はかかった。この物書き技能は、セミナーで習得したものじゃないということだけは書いておきたい。

ちなみに、このブログはバリ島のホテルで書いている。そう書くとまた「フリーランスってやっぱり自由だ」と誤解されるんだけど、現状澤田はかなりの量の仕事を抱えている。

その仕事を、今いる場所を理由にキャンセルすることはできない。もしできなきゃ干される。それがフリーランスだということを強調しておきたい。