たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「文章で食いたい」願望のおっさん<アイドルに憧れる女子小学生

f:id:vascodagama38:20190421181811p:plain

昔、新風舎という会社があった。

本を出版したいけどツテのない人に対して「協力出版」なるものを呼びかけ、結局は自費出版の相場の何倍もの額をせしめた会社だ。

同人誌では満足できなくなった人、出版の仕組みが分からない人、「自分はこの仕事をやり遂げた」と考え、その分野に誰よりも精通している(と思い込んでる)人をハメたわけだね。「文章で食いたい」という願望を胸に秘めているおっさんが、次々と新風舎の餌食になった。

そもそも、「文章で食いたい」と考えている男は特定の物書きを敵視している場合が多い。「何であいつはあんな文章書いて食ってるんだ。俺のほうがもっといいもの書けるぞ」と考えていて、つまるところ欲望と嫉妬と平凡な生活から脱却したい願望が胸の中でグルグル渦巻いている人々だ。

それと、己の経歴を美化している節がある。

15年くらい前までよくあったのが、太平洋戦争に兵隊として参加していた人が執筆した体験談。本人は立派な戦記として書いているつもりなんだけど、これが滅茶苦茶つまらない。

同郷の○○伍長はこんな性格の男だったとか、隊長が宴会でこんな豪快なことを言ったとか、自分が赴任していた外国のこの町はこんな雰囲気だったとか。

坂井三郎やオットー・カリウスやパンツァー・マイヤーと違って、兵隊に行った人の殆どは戦場ではまったく活躍していない。敵兵ひとり殺していれば上等というレベルだ。それこそ敵の戦車を何十両も撃破して、なおかつ戦死せずに文才も持っていた人だけが読み応えのある戦記を書けるわけで。

ところが、当の本人は「俺の過去は特殊だ」と思い込んでいる。俺はあの時代のことを誰よりもよく知っている。有名作家の○○はこんなことを言っているが、それは嘘だ。俺はあいつなんかよりもあの頃のことに精通している——。

そういう悶々を抱えているおっさんに、新風舎はなりふり構わず声をかけていたというわけだ。何たって、金も多少は持ってるしね。

 

「あの作家にこの程度の本が書けるんだから、俺だって」と考える物書き志願者のおっさん。いや、結構いるんだよ。

正直、そんなおっさんよりもアイドルに憧れるJSのほうが、態度としてはまだ現実的だ。

ある特定の職業に憧れるなら、最終的には自分も周りも楽しくなるように振舞おうと思わなきゃいけない。アイドル志望のJSは、それを理解している。けれど物書き志望のおっさんは、ただ単に誰かをギャフンと言わせたいから本を出版するという動機だったりする。

その時点で、もうそいつは「夢のないおっさん」なんだよ。

幸い、新風舎は2000年代に潰れたけれど、もし2019年に存続していたらさらに荒稼ぎできてたんじゃなかろうか?