たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

新約聖書とクラウドファンディング

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クラウドファンディングに出展したガジェットやプロジェクトについて取り上げ、それを記事にする。

そんな商売をしていると、必ず山師のような連中に遭遇する。

クラウドファンディングを利用して情報商材ビジネスで一旗揚げようとする奴も少なからずいて、中には他のクラファンサービスのプロジェクトをそのままパクっただけの内容で資金集めする輩もいる。

www.itmedia.co.jp

「傾いた会社の業績をV字回復させるため」、「最終的に金を持ち逃げするため」にクラファンを利用する奴は、確かに存在する。

それが情報商材屋となると、話は余計に厄介だ。本人は情報という商品を売ったつもりでいる。中身のある、ないにかかわらず。

そしてそのテの人間は、もちろん無償でプロジェクトを紹介してくれるライターに接近しようとする。つまるところ、澤田の仕事の3割方はそういう連中の誘惑を回避し、時には戦うことだ。

この商売で生きてこうと決めたんだから、人間の真贋くらいは分かってるつもりだ。

 

新約聖書のマタイ福音書7章15節は「偽預言者の見分け方」に関する内容だ。

預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲な狼である。あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。茨からぶどうを、あざみからイチジクを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。

澤田は別に神父じゃないから「これはこういう解釈なんだ」と強く言えないんだけど、この内容はクラファンにも当てはまると思う。

確かに、茨からぶどうが採れるはずがない。たまに良い木が悪い実を結ぶことはあっても、悪い木が良い実を結ぶことは絶対にない。

それと同時に、良い木が良い実を結ぶ瞬間も澤田は見てきた。素晴らしいクラファンプロジェクトを立案する人は、個人として見ても奥深い人格者だったりするのはこういう理屈だと思う。

初めから金目当てで良い実を結ぶつもりのない実行者は、いずれ返金コールの嵐の中で朽ち果てる。

だから、今の澤田は聖書の内容に大爆笑している。だって、本当にそんなことがあるんだもの。よりにもよってクラファン界隈で。