たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「町の電器店」が日本を衰退させた

かなり煽ってる感じのタイトルかもしれないけれど、どの町にも1件はある「近所の電器店」が現代日本の技術革新の足を引っ張ってるんじゃないかと澤田は考えている。

せっかく買った家電製品に何か不具合があった場合、メーカーや大型家電量販店に持っていくよりも、近所の電器店に持っていくほうが早くて楽だ。

電器店のおっちゃんは、電話一本で家まで来てくれる。家電製品の使い方も丁寧に教えてくれる。50年代にいわゆる「三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)」が出てきた時、それを一般家庭に普及させたのは他でもない、個人経営の「町の電器店」だった。

その当時だって、

「洗濯機なんかなくったって、ウチは今まで洗濯板でやって来た。これからも洗濯機は必要ないし、大体そんな機械置いたって使い方なんか分からない!」

と言い張っていた人は多かったはずだ。

スマホやPCなんかなくったって、ウチは今まで固定電話機と鉛筆のノートでやって来た。これからもスマホは必要ないし、大体そんな機械置いたって使い方なんか分からない!」

だから、最先端機器の使い方を事細かに教えてやる業者が必要になって来る。三種の神器の場合、その役割を製造メーカーと密接につながっている電器店が果たした。地元密着型の営業スタイルが奏功した結果と言うべきだ。

それじゃあ、スマホやPCで同じことができないのか?

結論から言うと、できない。

簡単な話で、東西冷戦時代の工業製品は誰がどう扱っても同質のパフォーマンスを発揮するものだった。トランジスタラジオがいい例だ。扱う人間が岸信介だろうと佐藤栄作だろうと長嶋茂雄だろうとジャイアント馬場だろうと、正しい操作手順さえ覚えれば製品の間に性能差は一切出ない。

ところが、スマホは違う。使う人間によってパフォーマンスに大きな差が出る。だからまずは「持ち主がスマホで何をしたいのか」というところから始めなくちゃいけないけれど、スマホの使い方を知らない人は「これから自分がスマホで何をするのか」ということすら予測できない。

にもかかわらず、スマホやPCを販売してる家電量販店はかつての「町の電器店」と同じ感覚でモノを売っている。するとどうなるかというと、メモリ4GBのCeleronノートPCに「ユーザーサポート料」という名目で10万円近い値札をつけるわけだ。Twitterのアカウントを作るのに5000円とかね。

スマホについて全く知らない人は、「元が安いスマホでも手厚いサポートがあれば適正価格じゃないか」と思ってしまう。これはもう、知識と経験があるかないかで巨大な「概念の壁」ができているとしか言えない。もっと言うと、ユーザーサポートとやらにカネを出し続けている人はこの先成長する可能性が低い。数年後にまた型落ちのPCや数世代前のiPhoneを買わされるだけだ。

使う者によって大きなパフォーマンス差が生じ、しかも新陳代謝の早い通信機器の分野では「町の電器店」の出る幕はない。

そしてインダストリー4.0の世界は、各個人を常時オンライン接続する通信機器の存在を前提にしている。

情報格差はさらに広がっていく。