たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「少年革命家」を見て、澤田はいよいよ焦り出す

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三十路も半ばを迎えようとしている最中、ちょっと慌てている。

理由は、読書の時間がすっかり取れなくなったからだ。

20代の頃は毎日本屋と図書館に通っていたから、その分だけ読書量は確保されていた。ところが、下手に物書きとしての仕事に恵まれた今ではなかなか読書の時間が取れない。

だいぶ焦っている。

こういう気持ちになったのは、例の「少年革命家」の影響もある。

 

不登校であることは、別に悪いことではない。不登校になる理由もいらないと澤田は思う。

ただし、子供にはやっぱり学問が必要だ。少年革命家の父親の何が腹立たしいかというと、彼は「学問の習得」すらも否定しているようにしか見えないからだ。

一番手っ取り早い「学問の習得」は、読書。それに限る。

極端な話、人生を生き抜く上で必要なスキルは読解力と語彙力だけだと思う。それ以外に必要ない、というのは言い過ぎか。いや、澤田は本気でそう考えている。

ところが、読解力も語彙力も学問を積まないと身につかない。

これは鉄のようなもので、熱して叩いて研いでいればピカピカの状態を保つことができるけれど、放っておいたらどんどん錆びていく。「ググればええやん」という問題ではないことは確か。ググらずとも即座に唯一無二の言葉を捻り出すには、読書の積み重ねが絶対に必要だ。

 

それが分かっているから、澤田は焦っている。

10代の頃の澤田は、幸いにして本を勧めてくれる大人が存在した。物書きの師匠の小野勝也博士だ。この人は岩波の文庫や新書だけじゃなく、「朝日と産経を読み比べなさい」と言ってくれた。「どちらが正しいか」じゃなくて、視点の違いが報じ方の違いになっていることを小野博士は教えてくれていたわけだ。

スマホではそれができない。だから、紙の新聞が置いてある図書館はものすごくありがたい。

ところが、その図書館に通う時間すらもすっかり取れなくなっている。

このままじゃまずい、という危機感はしっかり認識しているつもりだ。