たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

政治家と支持者の「情報格差」

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日本の政治家は「IT音痴」と言われている。

確かに、そういう政治家も少なくない数いると澤田も感じている。ところがそれと同じくらい「本人のレベルは高いけれど、地元選挙区の有権者のレベルに合わせざるを得ない」という政治家も存在する。

それは去年の静岡市長選挙で強く感じた。

 

去年の静岡市長選は、はっきり言って酷かった。

現職の田辺信宏が酷い、というわけじゃない。彼の対抗馬が時代の流れをまったく把握できてない人物だったからだ。

その候補者はバブルの頃の静岡市長で、去年の選挙では「昔の静岡を取り戻したい」と言っていた。

そう言ってる時点で、彼はスマホを使ったオンラインサービスやら5G整備やらの話に全然無関心だということが分かる。これには強い危機感を感じたものだ。静岡市には「携帯電話の電波で電磁波被害がどうたらこうたら」と言ってる高齢者もいるくらいなんだから、あんな化石を市長にしたら進む話も進まない。デジタルデバイドはイコール経済格差だ。それを広げる(というより、広がっていることを認識していない)人間に、おらが町の市長になってほしくはない。

それに比べたら、田辺市長はIT分野に関する理解度が高い。MaaSの整備は彼の公約だし、実際にシェアサイクル事業を静岡市内で始めた。

けれど、田辺市長の後援会のスタッフはどうか。

「若者はIT企業の社員じゃなくて大工になれ! ITなんて必要ない!」

本気でそう言ってる爺さんを、田辺信宏後援会事務所で見てしまった。

政治家本人のレベルは高いのに、肝心の後援会スタッフやそれが抱える票田の人々はデジタルデバイドの向こう側。これはとんでもなく厄介な問題だ。

 

自民党平井卓也香川県ゲーム条例問題で槍玉に挙がってる人物だけど、この人も自身のITレベルは低くない。それどころか、明らかにデジタルデバイドの内側の人間だ。

それはこの記事で分かる。

business.nikkei.com

ところが、澤田の邪推するところでは彼は田辺市長よりも「自分と有権者のレベル差」に悩んでるんじゃないかと思う。

自民党内に設置されているIT戦略特別委員会を「デジタル社会推進特別委員会」と名前を変え、枠組みを変えたのには理由がある。高齢者の方々にとって、「デジタル」という言葉はあまり心地よくないだろう。これは様々な声を聞いていると実際にそう思う。 
デジタルによって住みやすい空間ができるんだということを我々は証明していかなければならない。デジタルに取り残された高齢者もいれば、次々と生まれてくる若い世代、すなわちデジタルネーティブ世代もいる。社会像、理念、哲学のようなものを国民と共有しながら進めなければならない。こうしたものを早い段階で提示できなければ、デジタルの社会への実装は加速しない。

平井議員の選挙区は香川1区。少なくともここで「IT社会を高度に発展させます」と言っても、絶賛どころか無視、或いは嫌悪される可能性が高いということなのだろう。だからこそゲーム条例という、訳の分からない悪法がすんなり制定されてしまったのだと思う。

例えば、テレビでいえばアナログ放送がデジタル放送に変わったのはデジタイゼーションだが、Netflix(ネットフリックス)やHulu(フールー)といった月額課金で映画やテレビ番組が見放題になるサブスクリプション型のビジネスモデルの創出はデジタライゼーションといえる。日本はデジタイゼーションはある程度進んだものの、新しいビジネスが生まれずデジタライゼーションに出遅れた。通信回線の品質は著しく向上したにもかかわらずだ。

だったら香川県ゲーム条例はデジタライゼーションを阻害する明確な要因のはず。平井議員もその理屈が分からないはずはないだろう。

ただし、彼を国会議員にしているのはデジタイゼーションとデジタライゼーションの違いを説明してもまったく理解できずにポカンとする人々だ。そうである以上、今後も護送船団方式のように「下のレベルに合わせる」ことしかできない。

このあたりの背景は、Twitter世論を見てるだけでは分からないことだ。