たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「お母さん食堂問題」から考察するネット世界の本質

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アジアのカジノには「大小」というゲームがある。

3つのサイコロを同時に転がし、4以上10以下を「小」、11以上17以下を「大」とする。大と小のどちらかが出るかにチップを置くんだけど、ゾロ目はまた別枠に張らなきゃいけない。

これがマジでハマる。

やってみれば分かるんだけど、大にも小にも当てはまらないゾロ目が案外頻繁に出る。サイコロを3つも転がしてゾロ目なんて滅多に出ないだろ、と言われそうだけどいやいや結構出るんだよ本当に。

もちろん、ゾロ目を当てたらチップが何倍にもなって返ってくる。澤田もシンガポールのサンズでこの快感を経験済みだ。

で、よく考えたらこれってSNS(特にTwitter)での「活動」と一緒なんじゃないか?

 

 こんなブログ記事を見かけた。

note.com

つまり「お母さん食堂」に対して抗議の声を上げる活動家は、かつての総会屋と殆ど変わらないという内容だ。

 「総会屋」なんて単語自体かなり久しぶりに聞くんだけど、ただ「気づき屋」と総会屋が大きく違うのは、前者は所詮自分自身の利益しか考えてないということだ。それなら総会屋も一緒じゃないか、と言われるかもしれない。けれど総会屋は、仮にも「仕事」で得た成果を仲間と分け合う。「気づき屋」はそれすらしない。

自分の主張をバズらせ、仕事を呼びよせる。それが達成できれば、己の隣で同じように声を上げる他人なぞどうなっても構わない。実は最初から「結託」なんかしていない、ということだ。

これは、「気づき屋」も所詮個人事業主であるということと、ネットの世界じゃどうしても白黒両極端に分かれやすいこと、そして派手にバズった話題もすぐに忘れられるということが混ざり合っている。

ネットのおかげで自分の主張がバズってしまい、なまじ有名になった人(つまりその筋での仕事を得た人)は、引き続き己の影響力を維持しようとあらゆる手を尽くす。このあたりは、一世を風靡したお笑い芸人と通じるところがある。自分とは関係のない一企業に対して圧力をかけようとするのは、端的に言えば「私を雇え」ということだ。

それにしても恐ろしい時代です。例えばある企業が女性活動家を雇ってライバル企業の商品に「気づき」を突きつける。あるいは外資が日本市場参入を狙って「気づき屋」を雇う。こういうシナリオもありえますね。

「あり得る」どころか、実際にそういう欲望を公言する自称フェミニストが既に登場している。

sawada.hateblo.jp

もしも本当に企業が「気づき屋」を雇うようになったら、むしろ「気づき屋」の中での競争、というより闘争が熾烈になっていくに違いない。ネットでの「活動」は、本質的にはカジノの大小と全く同じだからだ。露骨な足の引っ張り合いや、目障りな同業者に対する集団での誹謗中傷だって平気でやるだろう。もちろん、この本質に政治思想の左右関係は関係ない。

「みんなで勝ってみんなで利益を分け合う」ということは、その活動がネットを主な舞台にしている限り絶対にない。先行者有利、同じ枠内の少数人だけの勝ち残り、熾烈なサバイバル。「ネットの世界で米を取る」というのは、その内容はどうあれ地獄の窯のような光景を覚悟しなければならない。社会活動をするというのなら、尚更だ。