森会長とまったく同じ「差別」をして喜ぶ人々
森喜朗会長の失言は、見事に他の差別発言を炙り出した。
森会長を「老害」「いつまでも居座るオジサン」と言って批判することは、結局「女は話が長い」という発言と同質だ。
ここぞとばかりに森会長を非難した人が、実は7年前に「なぜ男は長い会議をしたがるのか」という内容の記事を書いていた。これから森会長を非難するつもりで、わざわざ「日本企業では森会長のようなオジサンが放置されている」という記事を配信した著者及びメディアも現れた。
後者に至っては「女性活躍に反対するオジサン3つのパターン」と、ある特定の層にいる人を十把一絡げにタイプ分けしている。
「おたくだってオバサンでしょ?」という返し方をしてはいけない。人は生きている限り歳を食う。誰でも平等にオジサンかオバサンになる。加齢という名の必然的な現象を勝手に分類化し、「〇〇はああいう行動パターンだから」と定義付ける発想が時代錯誤だということに、何で気づかないんだろうか?
男性として生まれたけれど性自認は女性という人に対して、上の2人の筆者はどういう言葉をかけるつもりなのだろうか? まさか「あんたはオジサンだからこういう性格に違いない」とでも言うのか。
そういう発言をして自己矛盾を感じないのは、まさに「ネットの魔力」と言うしかない。
ネットでの言論活動は、カジノの「大小」によく似ていると以前にも書いた。
つまり本質が博打とあまり変わらない以上、「次のゲーム」のことなど考えているはずはない、ということだ。その時々のゲームに勝てばいいわけだから。
今現在こういうことを発言して絶賛を浴び、知名度を上げる。その繰り返しだから、過去の発言と明らかに矛盾したことを指摘されても弁明すらしない。今やってるゲームに勝てばいい。ネット言論に一貫性、整合性は求められない。
そして大小の本当の勝者は、目標の記事PVを達成したメディアの運営者即ちカジノのディーラーだ。