フルトヴェングラーの『ヒトラー生誕記念演奏』をついに入手
フルトヴェングラーが1942年のヒトラー生誕前夜祭でタクトを取った時の収録で、これ自体がベラボーに史料価値が高い。だから市場価格1万ウン千円という有様だ。それを澤田は、3000円弱で手に入れた。本当に運がいい。
フルトヴェングラーは度々ナチスに反抗したことで有名だ。ユダヤ人の奏者を支援したり、ヒトラーに当てつけるかのようにメンデルスゾーンの曲をセレクトしたりもした。それでも1945年までナチスがフルトヴェングラーを逮捕しようとしなかったのは、彼が既に音楽の世界で名声を得ていたからだし、それを裏付ける技量は否定できなかった。
このCDに収録されている第九は、ドイツ特有の規律正しさとメリハリの迫力、それに戦時下の緊張感が加わっている。鳥肌が立つほどの名演だったことに違いはない。
もちろんそれ故に、この『ヒトラーの第九』がクラシック音楽の黒歴史になっていることは重々承知している。ベートーヴェンは、人類全てが手に手を取り合う喜びをひとつの歌にした。それが『歓喜の歌』だ。ヒトラーの独裁とは、無論相容れない。
ところが、当時のドイツは「正当性」を欲していた。2度目の世界大戦に勝利するために。
1942年4月。その頃のドイツ軍はモスクワ占領を目指した「タイフーン作戦」が失敗に終わり、その矛先を中東とコーカサスに切り替えた。北アフリカではロンメル軍団が大暴れし、イギリス軍はエジプト喪失の危機に陥る。
この頃のドイツ軍は、占領地の大きさで見れば絶頂を迎えていた。だが、占領統治には「正当性」が欠かせない。ナチスにとっての「正当性」とは、優秀なアーリア人がヨーロッパと中東を支配するということだ。それにはアーリア人の優秀な部分を、国内外に向けて大々的に披露する必要がある。
だからナチスは裏工作まで施して、フルトヴェングラーの公演スケジュールを無理やり変更させ42年の総統生誕前夜祭のステージに立たせた。
もっとも、この年の11月にロンメルのアフリカ軍団がモントゴメリーに負け、スターリングラードではパウルスの第6軍がソ連軍に包囲された挙句、最終的に降伏する。そもそも補給線拡張の進行具合を二の次にした戦線拡大だったから、その崩壊も早く訪れた。
42年4月にフルトヴェングラーを聴いていた観客は、近く訪れる地獄の予感に気づかなかったのか?
もしかしたら、薄々気づいていたかもしれない。その心のうちの恐怖が、歓喜とは程遠い鳥肌をまとわせる歌として発せられ、今に残っているとしたら……。
悲鳴にも似た1942年4月の『歓喜の歌』は、この投稿を読んでいる読者の皆様にぜひ視聴をお勧めしたい。