たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

広河隆一って、要するに仮想通貨みたいなもんだわな

ノンフィクション作家やライターやジャーナリストが、同業者を尊敬するべきじゃない理由。

この世界は完全成果主義だからだ。

常に新しい物事を追っかけていかなきゃいけないわけで、それには毎日何かしらの勉強を積まなきゃいけない。歩みを止めたらそこで終わり。他人を尊敬する暇があったら、自分自身を研鑽するべきだ。

ところが現実問題、「私は大御所ジャーナリストの誰々を尊敬している」と公言し回ってる物書きやジャーナリストが結構いる。

 

で、はっきり言っちゃうけどそのテの人間は、自分と同レベルの同業他者を見下そうとする。

「大御所ジャーナリスト」の威光を己のものにして、まるで大出世したかのように振る舞う。もちろんそれは、ただの錯覚なんだけど。

「私は広河隆一を尊敬していました」とTwitterで公言していたとあるジャーナリストは、広河にメールをして返ってこないことに立腹しているらしい。まるで、自分が金を預けていた仮想通貨の取引所が倒産したかのようなノリだ。それはそうだろう。この人は広河の「権威」という名の仮想通貨を大量に買っていたわけだから。その銘柄が無価値になって、慌てて広河取引所に抗議のメールを送っていると考えれば合点がいく。

「仮想通貨持ってないの? 時代遅れだねぇ」とわざわざ言ってくる出川組(ここ1年くらいで仮想通貨を始めたビギナー)と、「私は大御所ジャーナリストを尊敬している」と口にする同業者は、精神構造が似ているどころか殆ど一緒だ。「仮想通貨を持ってさえいれば金持ちになれる」とだけ考えているから、建設的なビジネスの手法を己の頭で捻り出すことができない。

それと、「大御所ジャーナリストへの尊敬」を他人に押し付けることで、己の持ってる仮想通貨の価値が上がる。

ああもう、考えれば考えるほど広河隆一は仮想通貨みたいな人間だっつーのが分かるよ。

紙の新聞の死=ジャーナリズムの死?

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マネー現代のこの記事が、かなり話題になってるね。

gendai.ismedia.jp

案の定、批判のほうが多いこの記事。

けれど「紙の新聞の死はジャーナリズムの死」と言い切っちまうことに、なぜ我々は古臭さや悪い意味での頑固さを感じるのだろうか?

 

ここからは澤田の見解だけど、要はWebメディアは「部門の壁」をぶっ潰しちまうもので、新聞社の記者はそれを恐れてるんだと思う。

たとえば、長らく財務省番記者をやって来たキャップが、ある日突然「PCのグラフィックボードについての記事を書いてね」と言われたら、まあ間違いなく反発するだろう。

けれど、財務省の動向とPCの半導体の話題は、仮想通貨でつながっている。

2017年は仮想通貨大爆釣の年で、有名企業から一般人までマイニングに走った。おかげでグラフィックボードが品薄になり、ゲームをやりたい自作PC職人がかなり割を食った。

ところがたった1年で仮想通貨の価格がガタンと下がり、グラフィックボードがむしろ余剰気味になったわけだ。

そうなった根源は、国が仮想通貨交換所を法で定義して、財務省の管理下に置いたからだ。法定義されれば企業としても安心して行動に移せる。

 

Web媒体の場合、大抵はひとりのライターがここまでの流れを記事にする。それはそのライターが、部門の区別なくいろんな方面に精通しているからだ。Webは紙よりも記事の更新頻度が圧倒的に多いから、ライターもそのスピードに合わせてネタを出さなきゃならない。必然的に、いろんなことを知っている人間だけが生き残るという構図になる。

ずっと紙媒体で生きてきた記者は、たったひとつの部門に集中していればそれでいいという考え方で今もやっている。

 

「紙の新聞の死=ジャーナリズムの死」という発想は、「ジャーナリズム=政治関連報道」ということであって、それを取り扱わない人間はジャーナリズムじゃなくてただのライターだという考えに他ならない。

そんなことはない。たとえば政治とは何ら関係ない生活情報の記事だって、立派なジャーナリズムじゃないか。澤田は@DIMEで「自衛隊式靴磨き」の記事を書いたことがあるけれど、これだってジャーナリズムのつもりで執筆した。

dime.jp

財務省番記者をすることが一流で、靴磨きのようなライフハック記事を書くことが三流。もし新聞社の社員がそう考えているようなら、これはもう永遠に意見が合わない。

 

大手新聞社のキャップとフリーのWebライターの交流会っつーものは、もうやってる人いるのかな?

そういうイベントも探せばあるのかもしれないけど、あんま頻繁にやってる感じはしない。やればいいのに。マネー現代の例の記事を読んでると、つまるところ両者の交流があんまりないから「紙の新聞の死はジャーナリズムの死」なんつー発想が変えられないんじゃないか、と思えてならない。

どんな分野にも対話は必要だ。

かりあげクンは、人生に大事なことを全部教えてくれた

「脱社畜」という言葉を流行らせた人の真意は、何も会社員を辞めるということじゃない。

会社にいながら、自分の最低限の権利と自由を行使するという意味で「脱社畜」という言葉を使った。

それが今では「脱社畜=会社員の否定」という感じになっている。「会社員は誰しも会社という組織に縛られている。フリーランス最高!」という考え方が、オンラインサロンを通して浸透してしまった。

言葉が曲解されてるわけだ。

 

小学校低学年の頃の澤田は、「将来何になりたい?」と聞かれて「八丁堀の十手持ち」と答えたことがある。

その頃から時代劇、特に大岡越前を観ていて、大坂志郎演じる村上源次郎は澤田にとってのヒーローだった。立花喬之助の初出勤の回を観て、こんな奴にできるんなら自分も同心できるぞ、と息巻いていた。本当に爺さん臭いガキだったと思う。

そこから少し大きくなり、いよいよ中学校に進学するかという時にはほんにゃら産業への就職を希望していた。もっと具体的に言えば、第一志望はほんにゃら産業で第二志望はドクタケ城。三十路になった今でも、もしこの2社が求人を出していれば応募しようかと考えてる。

かりあげクンのいたずらはよく真似したし、このキャラクターのように自分もなりたいと本気で考えたこともある。いや、今でもそうだ。

www.amazon.co.jp

かりあげクンは安月給の会社員。残業だってしょっちゅうやる。けれど、彼が社畜とはどうしても思えなんだ。

木村課長とは何だかんだで仲がいいし、しばしば旅行にも出かけている。いろんなスポーツにもチャレンジしている。少ない給料で極力金をかけずにこれだけのアクティビティーを楽しんでるんだから、かりあげクン社畜なわけがない。

でもこれって、結局は心構えの問題じゃないのかな?

確かに、心構えではどうにもならないほどのブラック企業は存在する。澤田はそういう会社で心も体もボロボロにした後輩に起業を勧めたことがある。どうせこの先、同じような会社にまた務めるくらいならテメェでビジネス始めたほうがいいぞ、と。

けれど、理性的に考えてこの世にある企業の大半はブラックでもホワイトでもない、グレーな色合いの会社なんじゃねぇか?

理不尽なところは多々あるけれど、それは社員を過労死させるようなものじゃない。一応は上手くやれている。それだったら、何も無理に会社を辞める必要もない。

それを「会社員は皆社畜」と無理やり論理立てて、何の技能もないフリーランスを大量生産してそれを実績にしちまうようなオンラインサロン(とその主宰者)には羞恥心というものがないらしい。

 

フリーランスというのは、10代20代の頃に磨いた技能を発揮できる人間だけがなるものだ。

しかもその技能は、試験で認定されるようなものでもない。セミナーに何度か通ったらすぐに身に着くものでもない。たとえば澤田は、まあマトモな文章を書くまでに10年はかかった。この物書き技能は、セミナーで習得したものじゃないということだけは書いておきたい。

ちなみに、このブログはバリ島のホテルで書いている。そう書くとまた「フリーランスってやっぱり自由だ」と誤解されるんだけど、現状澤田はかなりの量の仕事を抱えている。

その仕事を、今いる場所を理由にキャンセルすることはできない。もしできなきゃ干される。それがフリーランスだということを強調しておきたい。

PayPayはちょっとこれマズイかも、と思っちまった

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PayPayが衝撃的な決断を下した。

クレジットカードの利用制限措置だ。早速引用させてもらう。

・クレジットカードでの決済金額上限:2万円(過去24時間)
※複数のクレジットカードを登録されている場合、合計2万円までとなります

Yahoo! JAPANカードからのチャージ金額上限:2万円(過去24時間)
————————————–

なお、2018年12月21日に設定した、以下のクレジットカードの過去30日間のご利用上限は引き続き適用となります。
————————————–
・クレジットカードでの決済金額上限:5万円(過去30日間)
※複数のクレジットカードを登録されている場合、合計5万円までとなります

Yahoo! JAPANカードからのチャージ金額上限:5万円(過去30日間)
————————————–

これにより、クレジットカードをご利用して決済される場合、過去24時間のクレジットカードでの決済金額の合計が2万円を超えない範囲、および、過去30日間(720時間以内)のクレジットカードでの決済金額の合計が5万円を超えない範囲でご利用いただけます。

 

www.paypay-corp.co.jp

澤田はこれを読んで、目を疑った。

家電量販店で万単位の買い物をする予定の客を想定して、PayPayは100億円キャンペーンというものを実施したはずだ。そのあとのポイント還元キャンペーンだって、ビックカメラを主軸にしたものだろう。なのにクレカとの紐付けでは30日間で5万円までしか使えなくなった。

だったら、今までのキャンペーンは一体何だったんだ?

そうなるくらいなら、ビックカメラじゃなくてコンビニとか牛丼屋とかを主軸にしたキャンペーンを展開するべきだった。つまり数百円単位の利用を第一の想定にする戦略だね。そうすれば、クレカ不正利用問題もここまでこじれることはなかったんじゃないか?

クレカとの紐付けだけに限った措置とはいえ、2万円以上の決済で使えないPayPayってなんか意味あるの? と思っちまった。

フルトヴェングラーの『ヒトラー生誕記念演奏』をついに入手

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最近、キングレコードの『ヒトラーの第九』を手に入れた。

フルトヴェングラーが1942年のヒトラー生誕前夜祭でタクトを取った時の収録で、これ自体がベラボーに史料価値が高い。だから市場価格1万ウン千円という有様だ。それを澤田は、3000円弱で手に入れた。本当に運がいい。

フルトヴェングラーは度々ナチスに反抗したことで有名だ。ユダヤ人の奏者を支援したり、ヒトラーに当てつけるかのようにメンデルスゾーンの曲をセレクトしたりもした。それでも1945年までナチスフルトヴェングラーを逮捕しようとしなかったのは、彼が既に音楽の世界で名声を得ていたからだし、それを裏付ける技量は否定できなかった。

このCDに収録されている第九は、ドイツ特有の規律正しさとメリハリの迫力、それに戦時下の緊張感が加わっている。鳥肌が立つほどの名演だったことに違いはない。

もちろんそれ故に、この『ヒトラーの第九』がクラシック音楽黒歴史になっていることは重々承知している。ベートーヴェンは、人類全てが手に手を取り合う喜びをひとつの歌にした。それが『歓喜の歌』だ。ヒトラーの独裁とは、無論相容れない。

ところが、当時のドイツは「正当性」を欲していた。2度目の世界大戦に勝利するために。

1942年4月。その頃のドイツ軍はモスクワ占領を目指した「タイフーン作戦」が失敗に終わり、その矛先を中東とコーカサスに切り替えた。北アフリカではロンメル軍団が大暴れし、イギリス軍はエジプト喪失の危機に陥る。

この頃のドイツ軍は、占領地の大きさで見れば絶頂を迎えていた。だが、占領統治には「正当性」が欠かせない。ナチスにとっての「正当性」とは、優秀なアーリア人がヨーロッパと中東を支配するということだ。それにはアーリア人の優秀な部分を、国内外に向けて大々的に披露する必要がある。

だからナチスは裏工作まで施して、フルトヴェングラーの公演スケジュールを無理やり変更させ42年の総統生誕前夜祭のステージに立たせた。

もっとも、この年の11月にロンメルのアフリカ軍団がモントゴメリーに負け、スターリングラードではパウルスの第6軍がソ連軍に包囲された挙句、最終的に降伏する。そもそも補給線拡張の進行具合を二の次にした戦線拡大だったから、その崩壊も早く訪れた。

42年4月にフルトヴェングラーを聴いていた観客は、近く訪れる地獄の予感に気づかなかったのか?

もしかしたら、薄々気づいていたかもしれない。その心のうちの恐怖が、歓喜とは程遠い鳥肌をまとわせる歌として発せられ、今に残っているとしたら……。

悲鳴にも似た1942年4月の『歓喜の歌』は、この投稿を読んでいる読者の皆様にぜひ視聴をお勧めしたい。

澤田オフィス配信記事補足 2019年1月12日@DIME「インドネシアの770円ガラケー」

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以前、インドで500円を切るスマホが出てきたけれど、あれは結局詐欺だった。

インドネシアの770円ケータイは、それとは似て非なるもの。何しろアルファグループという財閥とGoogleが手を組んで出したものだからね。

dime.jp

というわけで、小学館@DIMEでこの記事を執筆した。

シンガポールの企業が「カメラのないスマホ」なんつーのを作ってたりするけれど、それでもこの世に流通している携帯電話の9割9分がカメラ内蔵。これを使わない手はない。

話は飛ぶけれど、2019年のジャカルタの最低法定賃金は280ドルといったところ。最近のルピア安が響いて、賃金が相対的に安くなってる状態だ。

それじゃあ月300ドルで暮らしてる人にスマホを持たせるとしたら、どんな機種になるだろうか? iPhoneはさすがに無理だ。Android端末でも、NFC搭載機種は手が届かない。

結局、中国やインドネシアQRコード決済が普及するのはそういう事情があるからだ。これはこのブログでも何度も書いてるね。

 

そもそも、スマホのコストダウンを目指すとするならNFC(この場合、FeliCaも含む)は真っ先に削られる要素だと思うんだ。

日本で4、5万円で売られている機種も、NFCがなかったりするしね。

それにトレンドの方向性はおサイフケータイよりも、より綺麗で面白い写真が撮れるカメラ性能なんだよな。4800万画素のカメラを持ったスマホも出てきてるけど、そういう端末の販売価格を安く抑えようと思うならやっぱりNFCは……ということになる。

NFC<カメラ」という位置付けが消費者の間で維持されている限り、QRコード決済にはまだ伸びしろがあると思う。

オンラインサロンを開くのって、多分澤田でもできる

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Web関連の実績がある程度あれば、オンラインサロンを開いてもある程度人が集まる。

業種は何でもいい。ブロガー、ライター、エンジニア、何だったらInstagramで5000人ほどフォロワーを抱えている人でも構わない。

それだけ、「次世代」というものにぼんやりとした魅力と期待を感じている人がいるということだろう。「脱社畜は次世代の生き方=楽して不労所得をゲット!」というように。

もっとも、本来の「脱社畜」に「楽して不労所得」なんつー意味合いはない。それは元祖・脱社畜の日野瑛太郎氏がはっきり見解を出している。

dennou-kurage.hatenablog.com

ひとつ言っておきたいのは、僕は「脱社畜」という言葉をそれなりに気をつけて使ってきたということである。「脱社畜」とだけ聞くと、たぶん「会社を辞めてさっさと起業しろ」とか「ネットで簡単に不労所得!」といったような主張をしているのだろうと感じてしまう人も少なくないと思うが、僕はこういう文脈で「脱社畜」という言葉を使って人を煽ったことは一度もない。

 もう一度書くけれど、オンラインサロンを始めるのって割と簡単だと思うんだ。澤田でもやろうと思えばできるよ、うん。

己のWeb物書きとしての実績を自負している、という意味じゃない。現実問題、Web物書きで収入を得ることに憧れている人がたくさんいるからだ。

オンラインサロンの会員は、主宰者や講師を心の底から尊敬してサロンを利用しているというわけではないと思う。単に講師の実績或いは人脈にすがりつきたいと考えるから、月いくらの銭を出すんだろうというのが澤田の解釈だ。

堀元見氏のブログには、こうある。

ken-horimoto.com

 澤田の人脈目当てでこちらに近づいてくる人間は、今まで何人も見てきた。それはもちろん澤田の物書きとしての腕を認めてるわけじゃなくて、単に澤田の人脈を吸い上げたいだけなんだ。

己の頭で何かを生み出す行為とは、まるで程遠い。

なのに、自尊心や自己顕示欲ばかり旺盛だ。そこで他人の実績や人脈に接続しようとする。そういう人々の存在を見越して澤田がオンラインサロンを主宰すれば、そこそこの収益は上げられるんじゃねぇか?

けれど冷静に考えたら、そんなのはまるで実りのない行いだ。主宰者にとっても、会員にとっても。けれど堀元氏はオンラインサロンを「精神安定剤」と表現した上で、「これは立派なサービス業」とまで書いている。その見解の巡らせ方が凄い!

 

ただ、世に溢れるオンラインサロンのせいで「IT講座」自体にマイナスイメージがついてしまったことは否めない。

「完全テレワークで稼いでるWeb物書きが主宰する講座」という響きが、どことなく胡散臭く感じるようになった。

澤田が計画しているQRコード決済講座も、やる以上は例の炎上騒動を意識せざるを得ない。しかもオンライン決済、つまりカネに関する話題で、対象もスマホ慣れしていない中高年層に設定している。

これは細心の注意を払わんと、のちのちベラボーなトラブルにつながるんじゃねえかと思う。