たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「長文を他人に読ませようとする人」は、もしかしたらメンヘラかもしれない

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式秀部屋のおかみさんの話題が、結構盛り上がっている。

もっとも、大相撲関連の話題は100%真実じゃなかったりするから、あまり気軽に扱えるものでもないんだが。

ただ、それを抜きにしてもこの記事の内容はリアリティに満ちている。

news.yahoo.co.jp

関係者によると、部屋のグループラインにおかみさんの長文指示が相次ぎ、返信が遅いと「厳重注意」。大部屋のコンセント使用は、許可制となった。力士が実家から仕送りを受けたり、通信販売で買い物をして荷物が届いた時は、荷物を開けて写真を撮り、グループラインに投稿することが義務付けられた。

赤字の部分に注目。

これ、本当によるある話だ。

頑張って長文を書けば自分の心が他人に伝わると思っている人間は、結構いる。そんなのが馬鹿馬鹿しい発想だというのは、「もし自分が他人から長文のメッセージを送られたら?」ということを真剣に考えれば分かることなんだけど、要はそれすら理解できないくらいの精神状態に陥ってる可能性があるということだ。

つまるところ、式秀部屋のおかみは「力士に何かを伝えよう」としているわけじゃなく、単に「自分の絶叫を聞いてほしい」と思っているわけだ。そのテのメンヘラからいきなりメールが届くという経験は、澤田にもある。

より分かりやすく言うと「かまってちゃん」だ。

で、式秀部屋のおかみの場合、もしかしたら今までは式秀親方に対して似たようなことをやっていたんじゃないか……と、澤田は邪推してしまう。現に親方はおかみに頭が上がらなかったらしい。

もしそうだとしたら、親方はまったく悪くない。

 

今いるWebライター志望者の半分は「かまってちゃん」だと思って間違いない。

実際に統計を取った、という意味じゃない。これはWeb物書きでいくらかでも稼ごうと考えるなら、そのくらいの心の準備はしたほうがいいという話だ。

かまってちゃんは、本当に「自分の苦労話」と「他人の悪口」しか話そうとしない。その話題をいつ切り出すかいつ切り出すかいつ切り出すか、常に目をギラギラさせている。

だから、何かしらの取っ掛かりがあれば他人に対して極めて攻撃的になる。その取っ掛かりは何でも構わない。政治的主張の違いでもいいし、SNSでの楽しそうな対して「みんながコロナで大変な時に不謹慎だ!」とリプするのもいい。文章を書く目的が、そもそも自分自身の心の痛みを少しでも紛らわすためなんだから炎上したって構わない。

むしろ、炎上の只中で自分を支持してくれる他人を探している。その行為が快感にすらなっている。

そしてWeb物書きという商売は、そういう野獣のような連中からいきなり噛み付かれる危険性と常に隣り合わせだ。

2020年の50~60代男は趣味を持たないとマジで危ない

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2020年に50代或いは60代を迎えた男は、かなり気の毒だと思う。

それまでバリバリバリバリ働いてきた。「趣味なんか持つな! とにかく仕事しろ!」と周囲から散々言われ続け、満員電車も長時間残業も厭わずひたすら出勤し続けた。

その末が「コロナ自粛」だ。

それまでとは一転、彼らは会社から「出勤するな。テレワークに移行しろ」と指示された。それまでテレワークなんてしたことがない。それに何日も自宅に居続けると、自分自身に大した趣味がないことに気がつく。

やることがない。とにかくやることがない。暇との戦いは字面で書く以上に辛く、それを乗り切るには何かしらの道楽を持つしかない。

 

テレワークに適合できず、どっぷり浸かれる道楽も持っておらず、その上昨今の「発信した者勝ち」という空気をおぼろげながらでも察してしまっている50~60代男は、いわゆる「自粛警察」になる可能性が高い。

道端を歩いている若者に、何かしらのクレームをつけるオッサン。どの町にもそういうのが必ずひとりはいる。それがマスクをつけてないということでも、自転車で歩道を走っているということでも、何でもいい。些細な違反を過大なものにして自分がそれを断罪する。これは嫉妬と承認欲求に身を焦がしつつ、現代社会特有のレバレッジについていけない初老男がよくやらかす迷惑行為だ。

究極のオナニーと言ってもいい。

一昔前だったら、この不満は「本を書く夢」である程度中和された。アメリカ人が「定年を迎えたらフロリダに家を買って余生を過ごそう」と考えているように、日本人は「定年を迎えたら本を書いて出版しよう」と夢を描くものだったし、実際に己の回想録みたいな本を自費出版する元サラリーマンも多かった。その夢を食い物にしていた新風舎という会社も存在した。

けれど出版業界の不振が誰の目にも明らかなものになった今、その夢すらも描くだけナンセンスだ。

不満はいつまでも解消されない。

 

その不満の行き着く先は、有名人に対する殺害予告や爆破予告だ。

相手は誰だっていい。己の視界に写った著名人は、みんな自分の敵。「鬱憤晴らし」とか「ガス抜き」と言えば簡単かもしれないけれど、実はそんな陳腐な言葉で済ませられるほど単純な問題でもない。

それをやる人間は、必ず大義名分で身を固める。「日本のため」とか「外国人に好き勝手されないため」とか「差別に反対するため」とか「安倍政権を打倒するため」とか、政治的な使命を前面に押し出す。

ここまで来ると、その人は心の中の嫉妬をコントロールできなくなっている可能性が高い。嫉妬は肥大化する代物だ。能動的に気をつけていないと、必ず暴走する。

 

東京では、新型コロナウイルスの患者がまた増加している。

これをどう捉えるかは学者によって分かれるだろうが、少なくとも今このタイミングでは旅行どころかスポーツジムにすら行けない。新しい趣味や楽しみを始めるには、条件がとんでもなく厳しくなっている。

新型コロナは市民間の情報格差を露呈させたけれど、同時に「趣味格差」も露わにしてしまった。

50代以上のクソリプオヤジにありがちな「文章の特徴」

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一応澤田は物書きで米取ってるから、文章を見ればその人の性別や大まかな年齢くらいは見当がつく。

文章ってのは嘘をつかないもので、書いた本人がいくら身を隠そうと文章の中に必ずその人の特性が出てくる。

特にTwitterでたまに見る「クソリプオヤジ」は、非常に分かりやすい例だ。本人は徹底的に匿名を通しているつもりでも、そのリプライを読めば書いた人間の顔がまざまざと想像できる。そもそも「クソリプオヤジ」ということが分かるほど、頭隠して尻隠さず状態が発露しちまってるわけだ。

というわけで今回の記事では、「50代以上のクソリプオヤジの特徴」ということで書いていこう。

①「、」が多くて、しかも変な位置につける

これはある年齢以上の、SNS経験値が少ない男性クソリプラーにありがちな特徴。

たとえば、

あなたの、主張は間違っています! どうして、そんなことを、言うのでしょうか! 親の顔が、見たい! 社会人失格!

という感じで、どうしてそんなところに「、」をつけるんだ馬鹿野郎という感じの文章を書いてしまう。

確かに、澤田も「、」を置く位置に悩むことはある。そういう場合は己の書いた文章を声に出して読むことにしている。少しでも不自然に感じれば、「、」は取ってしまう。或いは他の位置へ移動させる。

つまり、中高年クソリプラーはそういうことを一切していないわけだ。

SNS経験値どころか物書き経験値の浅さも露呈しているのに、そういう点にも気づいてないという痛さがたまりませんな。

②なぜか「!」も多い

上の例文にもある通り、中高年クソリプラーはどういうわけか「!」を多用する。

もうひとつ例文を書いてみよう。

コロナは、風邪! 自粛は、不要です! 不安を煽る、立憲民主党反日

という具合に、「。」は少なく「!」がやけに多かったりする。

書いてる本人からすれば、Twitterで書く文章は政治的な檄文の延長線上なんだろう。「全世界の労働者よ、立ち上がれ!」みたいに。その一方で、自分を若く見せたいもんだから「!」は絵文字だったりする。「❢」みたいな感じに。

それがむしろオヤジ臭さ満載だったりするんだけど。

③ところどころで政治的主張

今の今まで刺激の少ない人生を送ってきた中高年ほど、政治的主張をする時のドーパミンドパドパ現象に依存しやすい。

気になったツイートに対するリプライはもちろん、他のTwitterユーザーに対するDMでも本題とは関係ない政治的主張を混ぜる。

ケーキを、買いたかったのに売り切れ! 店員態度悪いです! 昔は、そんな、冷たい人はこのデパートに、いませんでした! アベ政治の非情さ、ここに!

デパートにケーキを買いに行ったのに売り切れていてガックリ、ということを言いたいはずのこの文章。店員の態度が悪いという点は主題に関係している部分だけど、どういうわけかそれをアベ政治うんたらかんたらにつなげてしまう。こういうオッサン、いるでしょ?

「、」のテンポの悪さと相成り、もはや文章としてはガタガタ。けれど、本人はそのことをまったく気にかけない。己の言いたいことを言い切ったんだから、それでいいわけだ。

④常体と敬体の混同

いわゆる「だ・である」と「です・ます」をごっちゃごちゃにしてるのも中高年クソリプラーの大きな特徴。

私は、戦います! 政権打倒だ! 弱者を、守るのが真の政治です! それを、しなければ本当の意味で、強い者とは、言えないんじゃないだろうか!

終始自分視点で語っているのに、敬体・常体・敬体・常体と何度もひっくり返っている。ちょっと賢い小学生なら知っている文章の基本。それをすっ飛ばしてひたすら政治語り。読む側は相当な労力を消耗する。

⑤結局自力で何もしない

これは高齢のジャーナリストにも多いんだけど、世の中に一石を投じている割には自分の手で問題を解決しようとは一切しない。

銀行で、ネットバンキングを、勧められました! だが、私は、スマホが苦手! 誰でも、スマホが、できるわけじゃない! もっと、優しい社会を!

主張するだけしておいて、自分がスマホ操作を覚えようという発想には絶対に至らない。それは「手を汚す」ということだからだ。

これがおばさんなら、ブツブツ愚痴や文句を言いながらもしっかり手を動かす。おじさんはそうじゃない。男というのは常日頃気をつけていなければどうしてもプライドが暴走しがちで、中には自分が行動することは卑しいとさえ考えるのもいるくらいだ。

そういう意味で、男という生き物はかなり脆弱だ。

 

だからこそ、会社の窓際オヤジは侮ることができない。

こういうオヤジは大抵は道楽者で、プライベートが充実している。意外な人脈を持っているし、楽しく生きるためのスキルもある。『釣りバカ日誌』のハマちゃんみたいな感じのキャラ、と言えば分かりやすいか。

もともとクソ真面目に生きていないから、世の中に対して主張したいこともあまりない。スマホなんか使えなくたって、それを補って余りある道楽を持っている。

そういうオヤジにTwitterは必要ないし、だからこそクソリプラーになることも絶対にない。

オヤジは不良であるべきだ。

政治家と支持者の「情報格差」

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日本の政治家は「IT音痴」と言われている。

確かに、そういう政治家も少なくない数いると澤田も感じている。ところがそれと同じくらい「本人のレベルは高いけれど、地元選挙区の有権者のレベルに合わせざるを得ない」という政治家も存在する。

それは去年の静岡市長選挙で強く感じた。

 

去年の静岡市長選は、はっきり言って酷かった。

現職の田辺信宏が酷い、というわけじゃない。彼の対抗馬が時代の流れをまったく把握できてない人物だったからだ。

その候補者はバブルの頃の静岡市長で、去年の選挙では「昔の静岡を取り戻したい」と言っていた。

そう言ってる時点で、彼はスマホを使ったオンラインサービスやら5G整備やらの話に全然無関心だということが分かる。これには強い危機感を感じたものだ。静岡市には「携帯電話の電波で電磁波被害がどうたらこうたら」と言ってる高齢者もいるくらいなんだから、あんな化石を市長にしたら進む話も進まない。デジタルデバイドはイコール経済格差だ。それを広げる(というより、広がっていることを認識していない)人間に、おらが町の市長になってほしくはない。

それに比べたら、田辺市長はIT分野に関する理解度が高い。MaaSの整備は彼の公約だし、実際にシェアサイクル事業を静岡市内で始めた。

けれど、田辺市長の後援会のスタッフはどうか。

「若者はIT企業の社員じゃなくて大工になれ! ITなんて必要ない!」

本気でそう言ってる爺さんを、田辺信宏後援会事務所で見てしまった。

政治家本人のレベルは高いのに、肝心の後援会スタッフやそれが抱える票田の人々はデジタルデバイドの向こう側。これはとんでもなく厄介な問題だ。

 

自民党平井卓也香川県ゲーム条例問題で槍玉に挙がってる人物だけど、この人も自身のITレベルは低くない。それどころか、明らかにデジタルデバイドの内側の人間だ。

それはこの記事で分かる。

business.nikkei.com

ところが、澤田の邪推するところでは彼は田辺市長よりも「自分と有権者のレベル差」に悩んでるんじゃないかと思う。

自民党内に設置されているIT戦略特別委員会を「デジタル社会推進特別委員会」と名前を変え、枠組みを変えたのには理由がある。高齢者の方々にとって、「デジタル」という言葉はあまり心地よくないだろう。これは様々な声を聞いていると実際にそう思う。 
デジタルによって住みやすい空間ができるんだということを我々は証明していかなければならない。デジタルに取り残された高齢者もいれば、次々と生まれてくる若い世代、すなわちデジタルネーティブ世代もいる。社会像、理念、哲学のようなものを国民と共有しながら進めなければならない。こうしたものを早い段階で提示できなければ、デジタルの社会への実装は加速しない。

平井議員の選挙区は香川1区。少なくともここで「IT社会を高度に発展させます」と言っても、絶賛どころか無視、或いは嫌悪される可能性が高いということなのだろう。だからこそゲーム条例という、訳の分からない悪法がすんなり制定されてしまったのだと思う。

例えば、テレビでいえばアナログ放送がデジタル放送に変わったのはデジタイゼーションだが、Netflix(ネットフリックス)やHulu(フールー)といった月額課金で映画やテレビ番組が見放題になるサブスクリプション型のビジネスモデルの創出はデジタライゼーションといえる。日本はデジタイゼーションはある程度進んだものの、新しいビジネスが生まれずデジタライゼーションに出遅れた。通信回線の品質は著しく向上したにもかかわらずだ。

だったら香川県ゲーム条例はデジタライゼーションを阻害する明確な要因のはず。平井議員もその理屈が分からないはずはないだろう。

ただし、彼を国会議員にしているのはデジタイゼーションとデジタライゼーションの違いを説明してもまったく理解できずにポカンとする人々だ。そうである以上、今後も護送船団方式のように「下のレベルに合わせる」ことしかできない。

このあたりの背景は、Twitter世論を見てるだけでは分からないことだ。

「爆破予告」は気持ちいい?

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「渋谷署と入国管理局を爆破する」というメールをよこした犯人、何だか反差別デモとは全然関係ないように感じる。てか、実際関係ないだろう。

まず、この犯人は己の主義主張を高らかに叫んだ様子がない。今の時点での報道を参考にすると、単に「自分はアンティファの関係者で、いつここに手榴弾を爆破させてそれが失敗したら包丁で……」と書いてるだけだ。

もし奴さんが本気なら、そんなことは書かない。

マジもんの活動家だったら、その前に「自分がいかに正しい活動に従事しているか、日本政府がどれほど愚かなことをしているか」を長々くどくどと演説するはず。それも、一般大衆の目に届くところで。一番いいのはSNSだ。

要は檄文に相当する文章が見当たらないわけだ。

しかも、犯行手段が何だか幼稚。手榴弾投げて、それが失敗したら包丁って……。ナイフ=包丁という連想しかできない、厳格な銃刀法の下で生きてきたごくごく普通の日本人にしか思えない。

その上でさらに憶測を立ててみる。愉快犯で、なおかつ多少でも中二病っぽい状態に陥ってる男なら、もっと犯行手段にこだわるんじゃねぇのかな。「俺はこういう策を講じている。お前らはこの俺を止めることはできないだろう」みたいにね。男っていう動物は、外に向けて己の考えやステータスを主張するのが大好きだ。

だけどこの脅迫文は、何だか違うんだよ。

ここまで書いて澤田の推測が外れたら恥ずかしいんだけど、この脅迫文の犯人は30~40代の女で、首都圏外に在住、とTwitterで書いてしまった。もちろんアンティファとは一切無関係。このあたりは澤田がいつも書いてるように、発信欲と「嫉妬と焦り」を日常生活で消化できない人間が衝動的にやってしまったことなんじゃなかろうか。

 

Googleで「爆破予告」と検索すれば分かるけれど、どこかの施設を爆破すると脅迫する事件は殆ど毎週のように起きている。

犯人はパチンコに負けて落ち込んでいた初老の女だったり、イタズラのつもりで書き込んだ小学生だったりするけれど、いずれにせよこのテの脅迫文を送る人間は話題にするにも足らない連中だ。

そのへんの不甲斐なさは、本人が一番理解しているだろう。けれど、そんな不甲斐ない人間がほんの一瞬だけでも世間の注目を浴び、ニュース番組のスターになれる。たった1日だけの非日常とスリルを得ることができる。小さな自分が大きな世の中を動かしたという既成事実もできる。

やってる本人としては、気持ちいいだろう。ただのモブから、ほんの一瞬でも主役に昇格できたんだから。

そう考えると、爆破予告の脅迫文は麻薬のようなものだと思う。

誹謗中傷の取り締まりで広がる「格差」

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木村花選手の自死をきっかけに、今後は誹謗中傷に対する裁判がさかんになっていくと思う。これは断言できる予測だ。

政府も黙ってはいない。IPアドレス開示がもっと簡単にできるよう、法整備されていくはずだ。これからは、まかり間違っても他人様に「死ね」とか書き込むわけにはいかない。その瞬間に人生は崩壊すると考えてもいい。

ところが、それはそれで大きな格差を生んでいる。

 

人は誰も、世間に物申したいと考えている。

もちろん、的確かつ大衆を引き付けるような言葉で世間に物申せる人間なんてのはごく一握りしか存在しない。自分以外の人間が、その言葉を面白く感じてくれなければ「物申す」以前の問題になってしまうからだ。

これは本人に備わったスキル云々の話で、何かを主張したいという欲の有無はまた別だ。

もっと言えば、スキルはないのに欲は有り余っているという人がこの世界にはゴマンといる。誰かがそれを「カラオケみたいだ」と言ったが、まさにその通り。音痴だけど歌うのは大好き。それと似たような心理が働いている。

紙の上に自分の作った言葉を書いたことがない者、そもそもそういう訓練を受ける機会が皆無だった者、そして「物申したい欲」が肥大化した者は、前回の記事でも書いた「嫉妬」と「焦り」がどこかで加わって有名人に対する誹謗中傷に走りやすい。本人はそれを「腐った世間に対する批判」と思い込んでいるから余計に厄介だ。

本当の問題はこの先。SNSでの誹謗中傷に対して有名人が簡単に訴えられるようになったら、彼らは欲の捌け口をどこへ見出せばいいのか?

そもそもが「死ね」「消えろ」「お前はネトウヨ」「お前はパヨク」「家に火をつける」と書き込むくらいしか文章スキルのない人たちだ。それを徹底的に取り締まり、なおかつ阿修羅の如き情け容赦ない訴訟を誹謗中傷被害者が起こすようになったら、ある種の格差が発生する。

大衆の望む意見や情報を発信できる人と、そうでない人のスキル格差だ。

IT関連企業の経営者やWebメディアの運営者は、恐ろしく気軽に「双方向間の情報のやり取り」という言葉を口にする。それは結局、価値ある情報をこちらからも発信できる人だけの特権だ。そうでない人間は、墓場に入るまで一生涯情報受信者即ち消費者であり続けなければならない。

最貧国の農村にまでスマホが行き渡った今、氾濫する情報の消費者であり続けることは常にカネと時間を浪費し続けるということだ。仕事をするべき時間をスマホに奪われた挙句、AIがその人向けに最適化した広告の商品を買わされる。Webの世界は、基本的に発信した者勝ちだ。

 

だから澤田は、ネットの誹謗中傷をあまり強く取り締まることには反対……というわけじゃない。

むしろ、そのくらいの格差はあって当然だと考えている。

悪いけれど、Webは平等をもたらさない。誹謗中傷ができなくなったことによる「捌け口の喪失」は現象として認識するけれど、「それなら別の捌け口を用意してくれ」と言われたらやっぱり困る。

つまるところ、彼らは適当なデモに紛れ込んで暴徒になるくらいしかやれることがないんじゃないか? そう考えると、黒人差別反対にかこつけてコロンブス銅像を勝手に引き倒す連中が出てくるのは当然かもしれないし、これからもっとそういうのが現れるだろう。

 

平凡であること、世の中のモブであることは決して悪いことじゃないし、格好悪いことでもない。

むしろ、この時代にモブであり続けることは勇気を必要とする。

それはインターネットとSNSがモブの存在を考慮してないからだ。「世界の誰もが情報発信の主役」という前提のせいでややこしいことになっている。

それは生まれた瞬間から何かと恵まれていたIT長者の妄想、という感じで捉えたほうが無難かもしれない。結局、この世は主役よりモブのほうが圧倒的に多いんだから。

どうして人は「誹謗中傷」を書き込むのか?

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有名人に対する誹謗中傷を書き込む人間は、なぜそんなことをするのか?

澤田はこれを「嫉妬」と「焦り」と解釈している。

ライター、漫画家、劇作家、タレント、スポーツ選手、評論家etc。これらの職業の人々は、世間一般から見れば「自分の好きな分野でカネを稼いでいる人たち」だ。いや、実際にそうだというわけじゃない。あくまでも、この世の大多数の人々からそう見なされているという話をしている。

「俺は毎日こんなつまらない仕事をしているのに、何であいつらは自分の好きなことで稼ぐことができるんだ?」という疑問は、時が経つにつれて「あいつらは楽をして大金を稼いでやがる!」という考えになっていく。

劣等感と、決して高給をもらっていない不安と、退屈を忌み嫌う人間の本能と、想像力不足。これらが化学反応を起こしてできたのが「嫉妬」という産物だ。

 

その上で、SNSとはWeb2.0の影響を大きく受けた世代の人々が確立させたプラットフォームだ。

15年くらい前までは「双方向コミュニケーション」が絶賛されていた。自分が知識を得られると同時に、自分の持つ知識を公に発信する。それを可能とするのがインターネットだ。世界中の知恵や知識が1ヶ所に集中すれば、きっと素晴らしいものが生まれる。

その考え方は決して間違いではないけれど、あくまでも多面体の中の一面に過ぎない。

日々溢れる情報をきちんと整理し、それを消化し、さらに自分の知識を語弊なく正確に発信できるというのはひとつの高等テクニック。はっきり言って、そんなことを鼻クソほじりながら楽々こなせる人間はそうそういない。そもそも、ごく平凡に生きてる限りは「発信できる知識」すら持ち合わせていないのが普通だ。

一番簡単な発信は、政治的な発言をすることと有名人を中傷すること。これなら猿でもできる。Web2.0は、人間世界には恐ろしい高さの「バカの壁」があるということを露わにしてしまった。

 

ところが、現代人は「何かを発信しなければ」という強迫観念を持っている。

それはあながち的外れな妄想というわけじゃない。現実問題、Webで稼げる人間は「多くの他人が閲覧したがる情報を発信できる者」だからだ。

Webライターに憧れる人間は多いけれど、その9割9分9厘は己のフェイバリット、誰もが耳と目を傾けるほどの枕を持ち合わせていない。そして我々の業界は、みんながぼんやり想像しているくらいの大きなパイはない。それは他の業界でも似たり寄ったりだ。

にもかかわらず、発信できる情報を何も持っていない一般市民に対して、「何かを発信しないと君は退屈な人生から抜け出せないよ」と無言の圧力をかけ続ける。それが2020年のネット世界であり、現代文明だ。

プレッシャーは大衆の胸の内で「焦り」となり、邪な正義感を発生させる。

一度狙った相手が自殺するまで、正義感の暴走は止まらない。