たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「コタツ記事」は悪くない

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澤田の手がける記事の半分は、いわゆる「コタツ記事」だ。

ただしそれは、NHKねほりんぱほりん』でやってたようなまとめ記事の粗製乱造ではなく、大なり小なりの実体験に基づいているもの。それを自宅の机の上で書いているに過ぎない。

 

澤田は多少のインドネシア語なら理解できる。

インドネシアのメディアの記事を翻訳して、それをより分かりやすく要約した記事も「コタツ記事」と表現することができる。

新製品のサンプルをメーカーから取り寄せて、それを自宅で試してみたという内容の記事も「コタツ記事」だ。

タツに入り浸りながら大金を稼ぐ。これは悪いことでも何でもない。それどころか「コタツ記事ライター」ほど理想的なバリアフリー職種はない。問題は月1000記事ものノルマを社員に化すキュレーションメディアの運営姿勢にあるわけで、「ライターが今どこにいるか」ということはどうでもいいし、ある一定以上のクオリティーの記事を書けるなら「コタツ記事ライター」でも構わない。

 

ねほりんぱほりん』を観て感じたのは、「あれはライターではない」ということだ。

「自分で記事を書いてない」とちゃんと言ってるわけだから、あれはWebコンテンツを制作するディレクターといったところか。いずれにせよ、あの人は物書きとは呼べない。我々のやってる仕事とは全然違う。

だから、今回のゲストを「コタツ記事ライター」として取り上げるのはかなり乱暴だ。

そのせいで真面目にやってるライターが偏見の目に晒されたらどうするんだ……などと、ケツの穴の小さなことを言う気はない。問題提起をするにしても、いささかピントがずれているんじゃないか……ということだ。DeNAのキュレーションメディアが起こした問題にしろ、「ライターが引き起こした」わけじゃなくて「ライターがいないから起きた」ことなんだと澤田は解釈している。

知識と発想力と筆力のあるライターを手配できなかったからこそ、まとめ記事の粗製乱造に頼らざるを得なかった。

今回の『ねほりんぱほりん』でその部分が掘り下げられていたかというと、残念ながらそうではなかった。これはやり直しが必要だ。