たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「男どもを再教育キャンプに入れろ!」と主張する物書きの心理

f:id:vascodagama38:20210212190820p:plain

炎上しているツイートの画像をサムネにすることは、かなり危険なことだというのは骨の髄まで承知している。けれど、これは人間の尊厳に関わる問題だからやらせてもらう。

森会長を非難するあまり、「中国共産党がやってるような再教育キャンプに男を入れろ」と主張する人まで登場した。ただ、こういうブロガーが出てくる現象は、呆れはするけれど驚きに値するものではない。

政治家の失言は「物書きバブル」を生み出す。

それを上手く批判・非難した人間がネット論壇で大きく名を上げるという現象が存在する。見方を変えれば、政治家に対する批判が新しいフォロワーを呼び、上手くいけばどこかのメディアからも記事執筆の声がかかる。

その構図自体は、決して悪いことではない。常に批判がないと、政治家というものは必ず腐敗するからだ。ただし、自分のやってることは本質的には個人事業主だという自覚がないと、ネット言論家と呼ばれる人々は必ず迷走する。

 

何度も書いてることだけど、個人事業主というのは分野を問わず「フェイバリットで食ってる人間」だ。

そのフェイバリットが飽きられたり、時代錯誤になってしまうとたちまちのうちに干上がってしまう。

それを挽回する一番簡単な方法が、陰謀論や極論、他人の人権を蹂躙する主張を叫ぶこと。何だかんだで、過激な言論には客が集まる。つまり冒頭のツイート主は、これだけ拡散されてむしろ喜んでる可能性すらあるということだ。

ハナから故意でそうしているのか、或いは自分自身の人格が分からなくなっているのか。今回の場合、澤田は後者だと解釈している。ネット、特にSNSというのはあらゆる人間に「情報発信」を迫る代物に他ならない。フォロワーが多くなればなるほど、「何か大衆の興味を引く情報を発信しないといけない」というある種の強迫観念に苛まれるようになる。

たとえばトランプ前大統領は、その理屈をよく分かっていた。全米の「情報を発信したい病患者」を上手く利用して、見事大統領になった。ところが、取り扱う炎があまりに強過ぎるせいで最後は自分が飲み込まれてしまった。

 

Twitterをやり過ぎると、しばしば「Twitterでのキャラ」と「己の本当の人格」の区別がつかなくなる。

政治的言論を繰り返す人であれば尚更で、実はTwitterで言ってることは本意ではない……ということもある。上述の「自分自身の人格が分からなくなっている」とは、そういう意味だ。

そしてフォロワー数が多ければ多いほど、窮地からの脱出が難しくなる。