たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

花井岳文さんの訃報

日曜の朝から狼狽している。

格闘家の花井岳文さんが亡くなった、という話が飛び込んできたからだ。

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この訃報がまったくの誤報だったら澤田は謝罪する。いや、謝罪したい。誤報だと信じたい。

ご冥福をお祈り申し上げます、だなんて言えない。面識はないけれど、花井岳文という人物が若い頃の澤田に影響を与えていたことは確かなんだから。

 

澤田は第10回全日本コンバットレスリング選手権に出ていて、案の定すぐに負けちまったんだけど、確か花井さんは優勝したんじゃなかったっけか? 足関取りまくって決勝まで進んだことは覚えている。あ、いや、すまん。第10回は優勝してないのか。花井さんは毎年のように出てたし、とにかく勝ちまくる姿しか印象にないから記憶がごっちゃになってる。

澤田が木口道場川崎支部にいた2000年代初頭、足関といえば花井さんだった。当時はちょっとした足関ブームが起こってて、花井さんを目標にひたすらヒールホールドを取りに行った選手は木口にもいた。

何しろ、静岡市を拠点にして活動していた選手だ。当時、地方都市ではまだまだ総合格闘技なんてマイナー種目。淡路島の須田匡昇選手がプロ修斗のライトヘビー級王者になった時、「地方の選手がチャンピオンに!」と話題になった。逆に言えば、プロの格闘家の大半は地方から上京してきた人だったわけだ。

そう考えると、今は全国各地にジムがある。スマホのおかげで、遠方との連絡も簡単にできるようになった。格闘家だってテクノロジーの進化とは無縁じゃない。

その中で花井さんは、地元に拠点を置いて活動し続けた。これは偉業だ。どうして静岡市長は、この人物の功績に目を付けないのか。名誉市民にしたっていいくらいだ。

若い人材が首都圏か中京圏に続々移り住む中で、それでも静岡市内に根を張り続けた著名格闘家がそこにいた。

花井さんがいなくなった今、同じ静岡市民の我々に何ができるのだろうか?