たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「アプリはレベルが高いからブラウザ版に絞ろう!」という発想の日本版MaaS

ちょっと呆れた内容の記事を読んでしまった。

いや、別にライターの書き方が悪いとか、記事内に出てくる人物がおかしいとかそういう意味じゃなくて(むしろ記事にしてくれたライターに感謝)、少子高齢化社会に突入している日本の現状をまざまざと表している内容に若干絶望しているというか……。

travel.watch.impress.co.jp

衝撃的なのは、以下の記述。

さらに「アプリのダウンロード」そのものにも相当なハードルの高さを感じたという。年代が上がれば上がるほどスマートフォンを所持していなかったり、アプリをインストールするという作業が分からない人が増え、Izukoのサポートセンターに寄せられた問い合わせで一番多かったのが「ダウンロード方法」にまつわるものだった。

 何? 「アプリをダウンロードする」っていう行為自体が特殊技術なの?

そうなんだ、特殊技術なんだ。自分の手でググったり、都合のいいアプリを探したり、それをダウンロードしたりするのは高等テクニックなんだよ。

それは結局、日本の家電製品普及は個人経営の電器店と共にあったことの裏返しで、テレビや冷蔵庫や洗濯機なら電器店に電話すればいつでも使い方を教えてくれる。三種の神器も3Cも、町の電器店のオヤジが普及させたようなものだ。

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ところが、スマホではこの仕組みで普及させることができない。それは結局、スマホを製造しているメーカーとアプリを作って配信しているメーカーがまったく別の存在だからだ。

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ゲーム業界で言うところの「サードパーティー」が通信業界にも定着し、ハードに取り込むソフト(アプリ)はユーザー自身の手で探すことが当たり前になった。

「とりあえず自分の考えで好き勝手にいじってみる」という、日本人が一番苦手とする行動を経ないとスマホというものは使いこなすことができない。

で、この記事の本題の「伊豆半島の観光型MaaS」なんだけど……こういう流れで「アプリを自分でダウンロードできない人」の存在が明白になった時、「なら、今後はそのレベルの人たちに合わせてプラットフォームを設計しよう」ということになるのが一番怖い。

いわゆる「護送船団方式」で、常に「使いこなせない人々」を主軸に新しいものを作ってしまう日本人独特の発想。けれど、黒船が何隻も押し寄せているMaaSにそんな考え方は通用しない。

正直、その兆候はもう出てる。

また、伊豆半島に住む高齢者の日常の足としてもMaaSの活用は考えられており、スマートフォンなどを使わなくても、例えばテレビとリモコンで乗り合いタクシーの予約などができるiTSCOMの「テレビ・プッシュ」サービスを普及させていく。

 テレビ受像機に恨みを持っているわけじゃないけれど、こんなのはいらない。

そんなの使うくらいだったら、最初から電話でタクシー会社に連絡するよ。スマホが使えないのにそんな余計な利器を使いこなせるとは、とても想像できないしね。

 

もっとも、伊豆の観光型MaaSの件はこれ自体がまだ実証実験の段階だということを差っ引いて考えないといけない。

そうであるなら、アプリの廃止は決して悪手ではない。それに、どうせローカルなサービスなんだからアプリは無駄だという理屈も分かる。

ただし、このIzukoの利用者数が順調に増えていけば、いずれ「サービスのアプリ化」は要望として上がってくるはず。Facebookをブラウザで使ってる澤田が言えたことじゃないんだけど、長い目で見ればアプリは絶対に必要なものになってくる。

「アプリとブラウザの両方用意すりゃいいんじゃねえか」というのが、澤田の正直な感想。