たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

新型肺炎とテレワークと「世間体」

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首都圏を一歩離れれば、スマホもPCも持ってない「デジタルデバイドの向こう側の人」がかなり多く存在する。

その人に、何か突出した技能があれば別に構わない。けれど、できる仕事といえば風俗店か金融業者の看板を身にまとうサンドイッチマンしかないというレベルで、スマホを使えないから求人情報も紙の本で読むしかない。

一方で、幸いにも資産というものがあり、そこからもたらされる収益で生活している場合。けれど、いや、だからこそスマホを持たずとも暮らしていける。じつは地方にはこのテの「向こう側の人」が多くて、地元の市長や市議会議員の後援会にも深く関わってたりするから厄介だ。

「個人がスマホを持っていない」ところまでは、別に口を出すべきことじゃない。けれど、「現代社会にスマホは絶対必要」というのは自明の理であって、彼らはそれすら認めようとしない。世の中を「ムラ」としか捉えない、田舎の人間にありがちの発想だ。

車に話を置き換えれば分かる。自分は自動車免許を持ってないから、自分の住む地域にも車なんざ必要ないと言ったら、家族から「病院行ったほうがいいんじゃないの?」と心配されちまうはずだ。

「自分(個人)はそれを持っていないから、ムラにも必要ない」

そう確信している人間に一撃食らわせるには、ムラよりも権威のある中央政府が「お前らテレワークしろ」と命令してやるしかない。

 

そもそも、「テレワーク」という単語自体は新しいものでも何でもない。70年代から存在する。

なのに日本人が半世紀近くも「テレワークの可能性」に目を向けなかったのは、つまるところ最先端技術を理解しない「ムラの長」がいるからじゃないかと澤田は考えている。

自宅勤務は働いているうちに入らない。労働とは毎日自宅から満員電車に乗って職場に出かける行為を指す。ムラの長がそういう発想に留まっているうちは、所属企業の社長が何と言おうが社員たちは世間体を気にせざるを得ない。

今の今までテレワークが普及しなかった理由は、「世間体」という要素も大いにあるんじゃないか。

 

だからこそ、旧来の「世間体」に代わる新しい「世間体」を見つけなきゃいけないわけだ。

「自宅勤務は仕事のうちに入らない」という世間体が、「新型コロナウイルスの拡散を阻止しよう」という世間体に塗り替えられている。

「世間体」という言葉がふさわしくないというなら、「スローガン」とでも言おうか。アメリカ軍が駐留してなきゃ日本はガチガチの共産主義国になってたんじゃねぇかと思っちまうほど、この国の住人はスローガンに弱い。

今の政権は、その理屈を骨の髄まで承知している。2020年の日本が昔のチェコスロバキアに似てる部分があるのは、多分そういうことじゃねぇのかな。

世間体には世間体で。スローガンにはスローガンで。

そうでもしないと、本当にそうでもしないと、自分自身で最先端テクノロジーを学ぶことが苦手な日本人の間でテレワークなんてものは普及しない。