たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

「平凡」から逃れた先にある情報商材

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人間は、平凡を嫌う。これは今に始まったことではなく、昔からそういう性質をヒトは持っている。

第1回十字軍が編成される直前、隠者ピエールという男があちこちで演説し回った。「聖地を異教徒から奪還しよう!」。あまりに見事な演説だったらしく、そこらの農村の住民がピエールの後に続いて聖地に旅立った。この「民衆十字軍」は、旅先のあちこちの集落を略奪しまくりながらエルサレムを目指すんだけど、案の定途中でマムルークに殺された。生きて故郷に帰ったのは、ほんの一握り。11世紀末の話だ。

何でただの農民(もちろん、字の読み書きなんかできない連中)がそんな壮大な旅に参加したか。

世紀末の度に「世界の終末が近づいている!」と騒ぐ奴が出てくるのは100年に一度の定番なんだけれど、それ以上に当時の農民も「ごく平凡な暮らし」から逃れたい気持ちがあったからじゃないかと澤田は考えている。

 

高収入ではないけれど、親から引き継げるだけの家業がある。その仕事に従事すれば、盆暮れ正月以外は旅行に行けない代わりに配偶者と子供2人くらいは養えるだけの年収を得ることができる。

その仕事は、特段難しい内容というわけではない。ぶっちゃけ、誰でもできる。

これを「羨ましい」と取るか、「退屈」と取るか。

あくまでも澤田の独断と偏見だけど、後者の考えに至る人が数として多いんじゃないか、と思う。

少なくとも、ネットのキラキラに憧れて嫉妬する人の大半が「平凡な人」だ。これは貶してるわけじゃない。「平凡」であることは、本来なら素晴らしいことだ。誰もが平凡な生活を送れない国は、即ちカオスな状況の国だ。

ところが、万民が平凡な生活を送れる時代になると、ヒトにはそれに反抗する心理が働くようだ。

「自分はこんな平凡な一生を貫きたくない!」

一度そう考えてしまった人間は、できるだけ手っ取り早く平凡から脱却できる方法を探し始める。

本当の天才は、何かしらの事柄で成功するのに「できるだけ手っ取り早く」などということは思案しないのに。

 

というわけで、「誰でも簡単に大儲け!」と言って集客している情報商材には要注意。いや、むしろ避けるべきだ。

貴方と同じように、できるだけ手っ取り早く稼ぎたいと思ってる人は大勢いる。だから結局はパイの奪い合いになる。もちろん情報商材の提供者は「先行者有利」「早い者勝ち」という文言で貴方を誘うだろうけれど、貴方以外の誰かが「先行者有利」と言ってる時点でその分野は既に先行者が群れを作っている。貴方は間違いなく後発組だ。絶対に先行者には勝てない。

澤田がWeb物書きを始めた頃は、まさかスマホにニュース記事が直接(要はブラウザやアプリを通さず)配信される近未来になるとは誰も考えていなかった。いや、その分野のデベロッパーは考えていただろうけれど、少なくとも一般人は「Web記事はPCで見るもの」と考えていた。それが当たり前だった。

その「当たり前」が大変化したのは、澤田にとっては奇跡以外の何ものでもない。だから澤田は先行者になることができた。自分ではどうにもできない、奇跡という要素のおかげで。

奇跡はいつ起きるか分からない。けれど、意外な人物が意外な形で奇跡を運んでくることが多々ある。

だからこそ、常日頃から他人を馬鹿にしてはいけない。