たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

Webライターとアフィリエイターの違い

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澤田の物書きの師匠、小野勝也博士は「文章をまとめる技術」を澤田に教えてくれた。

というより、それについて徹底的に考えさせたというのが正解か。当時の澤田は、展開した文章をまとめて終結に持っていくのが苦手だったからだ。

「話の着地点」は、ミスると痛い。予め設定したテーマと大きく乖離した場合、読み手に不快感すら与えてしまう。

これを避けるためには、日頃の訓練が必要だ。物を書く訓練だよね。しかもこれはすぐに上達する技術なんかじゃない。澤田の場合は初めて自分で物を書いてから他人様に読んでもらえるくらいのレベルになるまで、ざっと10年かかった。

そんなもんだと思う、普通は。

 

ところが、まったくの初心者がそれなりの文章を書く方法というのも、なくはない。

「一人称視点で自分の好きなものをひたすら褒め称える内容」と、「一人称視点で自分の嫌いなものをひたすら貶す内容」。このふたつに書くものを絞れば、恐らく誰でもそこそこの文章は書けるんじゃないかと思うんだよ。

どちらの内容の文章も、最後は必ず大衆(読者)に呼びかける。自分の好きなものの場合は「この○○はオススメです!」。嫌いなものの場合は「この○○は最悪です!」。展開した話をたった一文でまとめ上げることができるんだから、これほど便利なことはない。

これがジャーナリズム要素のある文章だったら、そうはいかない。事実を客観的に伝えつつ、そこに幾分かの主観を加えるとしたら、複雑に絡み合う事象と心境をひとつひとつ紐解く必要がある。そこから文章をまとめ上げるとなると、「この○○はオススメです!」みたいな感じには絶対にならない。

ここでこの記事のタイトル『Webライターとアフィリエイターの違い』が絡んでくる。アフィリエイター、といっても実際には一口に言い表せないほどいろんな人がいるんだけど、それでも確実に言えるのは文章を書くスキルがなくてもアフィリエイターにはなれるということだ。

アフィリエイトで稼ぐ」とは、その記事内にリンクされている商品を読者に買わせるということ。それ以外の意味はない。だから終始推しまくりの文調でもまったく構わないし、最後のまとめも簡単だ。「この商品を買ってくれ」だからね。

Webライターは違う。澤田は取材先から報酬をもらったことはないし、要求するつもりもない。

だから、「この商品を買ってくれ」とは一切書かない。宣伝記事じゃない以上、そんなことを書く気はない。代わりに書くのは「この商品が我々の暮らしにどんな作用を与えるのか」、「この商品の付加価値はどこにあるのか」ということだ。このあたりをジャーナリズムとして追求する。

商品を買うか買わないかは読者の勝手であり、澤田から見れば「事象の結果」に過ぎない。そんなことを重視してたら、「売れてないけどいい製品」や「商業的に失敗したけどコンセプトが斬新な製品」を取り上げることができないじゃないか。かつてのシャープが、まさにそんな製品をたくさん作っていた。

ただし、そういう商品や製品を取り上げるには「文章をまとめ上げる技術」が必須になる。スキルがなかったら、Webライターという仕事で米を取ることはできない。

その点、アフィリエイターはかなり楽だと思う。ハナから「ひたすら推すべき商品」という太い一本柱を持っている。推して、推して、推して、最後はトドメとばかりに「この商品はオススメです!」とやってリンクを貼ればそれで終了。

これが澤田の考える、Webライターとアフィリエイターの最大の違いだ。

アフィリエイトは悪、と言ってるわけじゃないぞ。念のため。

それどころか、Webライターとアフィリエイターはどこかでその利害が合致する時もある。しかも、少なからず。それについては、また今度。

ガジェットライターはココに気をつける:クラウドファンディング調達金でテメェの自宅を新築しちまった「Peachy Printer」

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クラウドファンディングとは「夢を叶える手段」だ。そういう側面があるのは否定しない。

言い換えれば、銀行もベンチャーキャピタルもまったく注目してないプロジェクトを具現化する目的で存在するものだから、何かをやりたいけど資金のない人にとってはこれ以上ない資金調達手段だと思う。

そんなクラウドファンディングには、いろいろと奇想天外なプロジェクトも公開されている。それを世に広く伝えるのが我々Web物書きの仕事。

ただ、「夢」という単語は「欲」の発展系だという事実を我々は認識する必要がある。

欲は万物のエネルギー源だけど、その持ち主がちゃんと管理しないと暴走するものでもある。欲に支配された人間は何でもする。本当に、何でもする。ちょっと考えれば実現不可能のプロジェクトをクラウドファンディングで公開し、その調達資金をテメェの個人口座に入れちまうことだってある。

或いは、最初は本気でプロジェクトを具現化する予定だったけど、ベラボーな調達資金を目の前にした途端にそれを着服しちまった例もある。

それが2013年にKickstarterで公開された『Peachy Printer』だ。

www.kickstarter.com

たった100カナダドルで手に入る3Dプリンターは、2013年当時は革新的だった。

ところが、共同開発者の片割れがKickstarterで集めた資金を己の家の新築に宛てた。これはピンハネどころの騒ぎじゃない。完全な詐欺だ。

もちろん、そんな状態で製品が完成するはずがない。2018年の今でも、Peachy Printerのキャンペーンページにはリファンドコールが相次いでいる。

クラウドファンディングが「ファンディング」である限り、こういうことが起こる可能性は常にある。

だから物書きは、クラウドファンディングの実行者から絶っっっっっっっっっ対に執筆報酬をもらうわけにはいかない。 

テメェの人脈欲を「夢」という単語で誤魔化す人々

澤田がライターをやってつくづく感じているのが、他人を「人脈の多さ」という点でしか見ない奴がとんでもなく多いということだ。

澤田の人脈をそっくりそのまま自分のものにするためだけに、わざわざ近寄ってくる奴なんて珍しくない。最初からそのつもりでライターを募集してるメディアとかね。

勘違いしてるんだ。澤田にとっての人脈は、あくまでも自分が行動してきた副産物に過ぎない。

澤田と仲良くなれば、澤田の人脈とも接触できる。そんなことを考えてる時点で、人間として卑しい。それに薄々自覚しているのか、人脈欲に駆られた人間はよくこんなことを口にする。

「世界中の人とつながる場を設ける!」

「いろんなスキルを持った人がつながれば、世界はもっと良くなる!」

「好きなことをして生きていくため、夢を叶えるため!」

世界中の人間と即座に連絡が取れるようになれば、確かにビジネスははかどる。新しいこともできるだろう。

けれど、ハナから人脈を目当てにいろいろ活動してる人間には、寸分の魅力を感じない。

以前、澤田のインドネシアでの格闘技人脈を目当てに近づいてきたのがいた。ジャカルタに行ったらお世話になってるマックス・メティーノ先生は前ジャカルタ州知事の従弟で、しかも海外で柔道教室をやってる日本人はどこかの大手企業の管理職だったりするから、格闘技になんか興味ないくせに「練習やってる場所に行きたい。連れてってください」とか言い出す。

他人をナメてるとしか思えない。

あんま説教臭いこたぁ書きたくないんだけど、一番大事にすべきは「近所のコンビニの店員」という考え方だからね澤田は。

1年に何度も会わない業界の重鎮よりも、3日に1度は必ず会う近所の人間のほうがよっぽど大事だ。

資産家ほど分散投資の重要さを知っている

こんなTwitterの投稿があった。

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敢えて投稿者の名前は隠しておく。

多分この人、ニュース見てないんだよな。それが悪いこととは言わないんだけど、でもこの人の運営してるブログって早い話がクレジットカードやらローンやらのアフィリエイトメディアだし……。

8月にトルコリラが20%暴落して、みんなが小便漏らしたことは記憶に新しい。世界の基軸通貨が米ドルである限り、新興国の通貨と金融機関は常にリスクを目前にしている。だからサブプライムな商品の金利は高めに設定される。

大体、インドルピーだって年初来10%以上下落してるじゃん。金利で取り返せないレベルの落ちっぷりだから、みんな大騒ぎしてるわけで。

それにインドでもインドネシアでもタイでもマレーシアでもバングラディシュでも、新興国の富裕層は複数通貨の外貨口座を持ってるのが普通だ。

簡単な話で、自分の国の通貨がダメダメになってもダメージが少なくなるようにしてるんだよ。一番基本的な分散投資なんだけど、資産家やプロの投資家ほど「あの銘柄はオススメ」とは言わない。

彼らはインドルピーも日本円も持っている。その時々に合わせて額や比率を少々変えているだけだ。

金融商品金融商品である以上、そこに「オススメ」という言葉をつけてはいけないはずだ。銀行や保険のスタッフも、顧客に契約書を書かせる前にちゃんとリスクについての説明をしてくれる。というより、しなきゃいけない決まりになっている。

それをすっ飛ばしてメリットしか言わない販売員は、まあ十中八九詐欺師と見て間違いない。でなければ、最初から自分の勧めたものに責任を持たないタイプの人間だ。

リスクを心得ていたら、「金利が高い」という理由だけで新興国の銀行に全財産を預けるなんて蛮行は絶対にしない。外国人に対してどこまでペイオフが適用されるかも分からない。インドに限らず、どこの国だって金融危機が発生したらまずは自国民保護に向かう。

確かに、日本の超低金利はいろいろ問題を発生させている。だからある程度賢い人は、外貨建ての保険に加入する。

けれどそれは、ベラボーに金利の低い日本の銀行に口座を持っていることを前提にした行動でもある。新興国の金持ちは、どこかに必ず福沢先生の束を隠している。それが分散投資っつーもんじゃないのかな?

au Walletに操を立てている澤田

実は澤田が一番よく使ってるのは、au Walletだったりする。

理由は単純で、いざとなったら(auユーザーは)通信料と合算という形で残高を引っ張ってこれるからだ。これは緊急時にはものすごく役立つし、そうでない時はauの店舗に行って何千円かチャージする。ついでに店内のWi-Fi使わせてもらえるしね。

じぶん銀行の口座持ってると、au Walletの残高を現金化できるっつーのはデカイと思う。

iphone-mania.jp

au WalletがApple Payに対応した時は、それこそ赤飯炊こうかと思ったもんね。今のところ、澤田のiPhone 8にはau WalletとSuicaのふたつがスタンバイしてる状態だ。

ただ、このau Walletが果たして「電子マネー」かというと、澤田の感覚では違う。au Walletは「Apple Payに対応したデビットカード」という認識だ。

au Walletはカードもあって、海外に行ってる時はこっちを使う。au Walletのブランドはマスターカード。現地のATMから現金は引き出せないけど、正直あまりその点で骨に感じたこたぁねぇなぁ。

ただ、東南アジアのLCCのクレジット決済だとたまにau Walletが使えないっつーことがある。他のデビットカードは使えるのに、なぜかau Walletじゃ決済できないっつー症状。

このあたり、どこかのショバで改めて記事にしてみようかな? その暁にはこのブログにも記事URLをリンクします。

「電子マネーのセキュリティーが不安」という先入観は13年経っても変わってなかった件

とんでもねぇ記事を見つけちまったよ。

それはCNET Japanのこの記事。

japan.cnet.com

何がベラボーかって、これは2005年4月に配信されたものだっつーことだ。

スティーブ・ジョブズが部下を怒鳴り散らしながらiPhoneの設計図を描いてた頃だぞ。

電子マネーには今も「セキュリティー面が不安だから使いたくない」という評判が立っていて、なかなか払拭しそうにない。けれどこれは、サービス提供者の怠慢じゃねぇのか?

どこでどれだけ電子マネーを使ったらポイントがいくら貯まるかっつーアピールも必要かもしれない。けれどまずやるべきは、「我々のウォレットはこんなに信頼性があるんですよ」と周知させることじゃねぇのか? 要は、13年もそれを怠ってきたということになる。

そんなことよりも、ポイントサービスを強調するほうが手っ取り早く新規ユーザーを稼げるっつーことかね?

「電子マネー批判」は「老害」ではなく「誤解」に基づくもの

鳥越俊太郎の「電子マネー批判」は、あくまでもこの人が電子マネーについての知識を持ってないということで、「老害」とは違うんだよ。

70代だろうと20代だろうと、「電子マネーってよく分からないし使う予定もない」って言う人は一定数いるはずだ。逆に、高須クリニックの院長が言ったように中高年でも電子マネーを使いこなしてる人はいるわけで。

news.nifty.com

で、現状は日本のキャッシュレス決済は今でもクレジットカードが圧倒的。

www.nikkei.com

キャッシュレス決済の9割って、ベラボーな数字だぜ?

こういう現状があるから、フィンテックやらキャッシュレス決済やらについて知らない人はとんでもない誤解を持つ。

電子マネーを利用する前に信用調査がある。自分はクレジットカードを持っていないから、どうせ審査なんか通らない。電子マネーを持つこともないだろう」

まあ、この誤解についてはこの前もブログに書いたんだけどね。電子マネーとクレジットカードをごっちゃにしてしまうという誤解だ。

何しろクレジットカードとデビットカードの違いも分からず、「自分は無職だから」とデビットカードを避ける人もかなり存在するほどだ。けれどそんな人に「インドネシア国民の半数は銀行口座を持っていません」と説明すると、間違いなく驚かれる。

誤解は認識のねじれを生む。どうして自分の銀行口座を(しかも複数も)持っているのに、デビットカードを作ることを怖がるのか? 日本の七不思議のひとつと言ってもいい。

 

スマホを使いこなせるか否か」も、当然大きい。

金持ちが貧乏人に対して「人は誰しもアメックスのゴールドカードを持ってないと社会が効率化しないザマスね」なんて言ったら、石投げられるだろう。けれど鳥越俊太郎を始めとした「スマホを持っていない&電子マネーに誤解を抱いている人」にとっては、「スマホでキャッシュレス決済=アメックスのカード」というわけだ。

スマホを使いこなせる」「スマホの機能をフル活用するだけの用途を見出すことができる」というのは、そうでない人にとってはアメックスのゴールドカードを所有するに匹敵する「特権」だ。だからガラケー所有者がスマホで電子決済をする人を目の当たりにしても、「あの行為は自分とは何ら関係のないものだ」という判断になる。

なのに「特権」を持ってる連中がいろいろ優遇されて、そうでない我々が長い行列に並ばんといかんのか。こんなの不公平だ、弱い者イジメだ……という流れになる。

まあ、一応の筋は通っている理屈だ。そりゃあ、アメックスのゴールドカード持ってる奴ばかりが列に並ばず映画館に入れるようになったら、澤田だって文句言うもの。けれど何度も書くけれど、スマホのキャッシュレス決済がゴールドカードに見えるのはあくまでも誤解に基づいた認識だ。

電子マネーの敷居はクレジットカードよりも遥かに低いということを、サービス提供各社はもっとPRするべきじゃないのかな。「ポイントが付いてお得!」なんて言うよりも効果的だと思うぜ?