学問より価値あるものはない
澤田のブログに時たま登場する、東洋史学の小野勝也(おの かつなり)博士。
澤田のいた高校は、はっきり言ってどうしようもなかった。パワハラが横行している、という意味で。教員は生徒に対して、己のサディスティックな感情を満たすかのような課題を与えていた。
「今年は2001年だから」という理由で、ノートの数十ページ分を2001回手書きで写させるという、どう考えても達成不可能な夏休みの課題を与える狂人もいた。代々木アニメーション学院を「無認可校だから絶対入らせない」と志望者を妨害したと思ったら、授業の中で戸塚ヨットスクール(何人も死者を出した無認可校)を絶賛する。そんな教員の行動は、病気としか思えない。
連中の顔と名前は、そのうち告発するかもしれない。ここではテレビ東京の放送ライセンスを所持していた団体が作った高校、とだけ書いておく。
その中でほぼ唯一、正常で温厚で知的で人間的な先生がいた。それが小野博士だった。ただしこの人は高校の教員即ち正社員ではなく、臨時の講師。もう一度書くけど、この高校の教員にマトモなのはひとりも(少なくとも澤田が在籍していた当時は)いなかった。
選択授業の「時事研究」を、小野博士は受け持っていた。
澤田は「ノートを取る」とか「黒板の内容を書き写す」ということが一切できない。そんなことをやってると講師の話に集中できないし、そもそも頭が真っ白になる。本当に、1ミリだってペン先が動かない。それは今も同じだ。だから、レポート課題を提出することができなかった。
けれど小野博士は、それを承知の上で澤田にいい点数をくれた。「君は真面目に私の講義を聞いているから」という理由で。
嬉しかった。こんな先生は、後にも先にも小野博士だけだ。
そういえば、10代の頃の澤田に対して物書きの仕事に就くことを勧めてくれたのも小野博士だった。
「君は格闘技をやってるのか。しかし格闘家で文章を書ける者はあまりいないだろうから、その辺で君の技能が活かせるはずだ」
それが今、Web物書きという形で何とか形になっている。
小野博士の行動原理は、「学問より価値あるものはない」ということだったと思う。
学問をしたいという理由でやって来る人間を、小野博士は誰でも受け入れた。もちろん、外国人でもまったく構わない。小野博士は80年代の中国の蘇州大学で講師をやっていたこともある。今の蘇州大の日本語学科学長は、その時の小野博士の教え子だ。
学問より価値あるものはないのなら、あの時分に敢えて高校を退学してもよかったんじゃないか?
最近、澤田はそんなことをぼんやく思い返すようになった。小野博士がそう言ったわけじゃない。けれど、彼の至上としているものが「学問の習得」であれば、それを阻害するような学校には価値を見出す必要はなかったんじゃないか?
そもそも、小野博士がいなければ澤田は自主退学していたかもしれないし、今の澤田があの当時の澤田にアドバイスするとするなら「どうにかして学校から逃げろ」だと思う。
そういうことがあるから澤田は「不登校」を悪手だとは全く考えないし、同時に例の「小学生YouTuber」には不安と不審と違和感しか覚えない。
矛盾してる? いやいや、学校という施設が当人の学問習得を阻害する例が少なくないから、そう考えているわけで。いじめとか教師からのパワハラなんかは、その最たる例だ。こうなったら学問どころじゃない。
真っ当に学問をするために学校から逃げ出す。逆に、学問そのものから逃れようと思って不登校になるというのは選択肢としては悪手以外の何ものでもない。
いずれにせよ、人生の中で学問より価値あるものは他にないと澤田は考えている。その考えに至った最大の要因、小野勝也博士にまた会いたい。Web物書きになっちまった澤田を見て、あの人は何て言うだろうか。
新約聖書とクラウドファンディング
クラウドファンディングに出展したガジェットやプロジェクトについて取り上げ、それを記事にする。
そんな商売をしていると、必ず山師のような連中に遭遇する。
クラウドファンディングを利用して情報商材ビジネスで一旗揚げようとする奴も少なからずいて、中には他のクラファンサービスのプロジェクトをそのままパクっただけの内容で資金集めする輩もいる。
「傾いた会社の業績をV字回復させるため」、「最終的に金を持ち逃げするため」にクラファンを利用する奴は、確かに存在する。
それが情報商材屋となると、話は余計に厄介だ。本人は情報という商品を売ったつもりでいる。中身のある、ないにかかわらず。
そしてそのテの人間は、もちろん無償でプロジェクトを紹介してくれるライターに接近しようとする。つまるところ、澤田の仕事の3割方はそういう連中の誘惑を回避し、時には戦うことだ。
この商売で生きてこうと決めたんだから、人間の真贋くらいは分かってるつもりだ。
新約聖書のマタイ福音書7章15節は「偽預言者の見分け方」に関する内容だ。
偽預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲な狼である。あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。茨からぶどうを、あざみからイチジクを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
澤田は別に神父じゃないから「これはこういう解釈なんだ」と強く言えないんだけど、この内容はクラファンにも当てはまると思う。
確かに、茨からぶどうが採れるはずがない。たまに良い木が悪い実を結ぶことはあっても、悪い木が良い実を結ぶことは絶対にない。
それと同時に、良い木が良い実を結ぶ瞬間も澤田は見てきた。素晴らしいクラファンプロジェクトを立案する人は、個人として見ても奥深い人格者だったりするのはこういう理屈だと思う。
初めから金目当てで良い実を結ぶつもりのない実行者は、いずれ返金コールの嵐の中で朽ち果てる。
だから、今の澤田は聖書の内容に大爆笑している。だって、本当にそんなことがあるんだもの。よりにもよってクラファン界隈で。
不登校は不幸ではないけれど、だからといって君が必ず幸福な大人になれるとは限らない
数日前、澤田は「お言葉少女」について書いた。
大人になったお言葉少女は、ただの痛いおばさんだ。10代の頃とまったく同じことをやっているのに、いや、まったく同じことをやっているからこそ、直視できないほど痛い。冷静に考えたら不自然極まりない言葉遣いは、少女特有の初々しさで愛くるしいように聞こえた。
もう少し正確に書くと、孫の顔を見る年頃の人たちがお言葉少女を「愛くるしい」と勝手に感じていたに過ぎない。70年代の半ば以降、テレビは子供と老人のものだった。大相撲の横綱だった輪島が引退して全日本プロレスに加入した時、日テレの視聴率が一時的に跳ね上がった。それは輪島見たさに全国の高齢者がチャンネルを日テレ系列に捻ったからだ。
いろいろな面で保守気取りな老人の琴線に触れるような文言を並べ、その上で10歳そこそこの少年少女、言い換えれば「疑似孫」を提供してやる。
それと同じ流れの現象が、ネットの普及した今でも起こっている。
バズッた、というより炎上しちまった琉球新報の記事。
この少年革命家がお言葉少女と違うのは、「不登校は不幸じゃない」という文言で若年層にもリーチしようと試みてる点だ。
確かに、不登校は不幸ではない。
不登校になるには理由がある。校内でいじめられているのなら、それはどう考えても学校から逃げるべきだ。無理に学校に行くことは、むしろ勉学の機会を損なう。
担任の先生が狂人だった(これは澤田が経験している)、PTAの役員を押し付けられた、そもそも日本の学校の管理教育はおかしいと思っているから。これらを理由に子供を学校に通わせない、という選択肢も当然あるだろう。
ところが、彼の動画にはそういう感じの「理由」が全く見えてこない。不登校を他人にも勧められるだけの強烈な理由が。
「不登校は不幸じゃない。無理やり学校に通ってる子の方が不幸だ」という宣言だけでピリオドを打っている。
澤田は自分の質に合った仕事を探した結果、Web物書きになった。それと一緒で、その子の質に合ったことを模索した結果不登校になった、というのが一番自然な流れなんじゃなかろうか。
彼の場合は、「結果」と「過程」の区別がどうもついていないように感じる。「こういう事情があるから、たまたま不登校になった」ではなく、「能動的に不登校という選択をした俺は幸せだ!」とYouTubeで主張している。けれど、その先のビジョンがぽっかり抜けている。
大体、彼が自分の言葉で話してるとは到底思えないしね。
これを「彼が思った通りのことを話してるんだ」なんて考える大人はいるのだろうか? 絶対カンペ見てるよね?
ある特定の選択肢を選べば、即座に幸福になれるという風潮がある。
たとえば大相撲の玉鷲関は、本当ならホテルの従業員になるつもりで来日した。ある日街を歩いていると、たまたま自転車に乗った力士を見かけた。興味本位で追いかけてみると、そこは井筒部屋。その後は鶴竜関の導きで片男波部屋に入門したということだ。
もしもこの時、自転車に乗った力士を追いかけていなければ玉鷲という関取は存在しなかった。
けれど、だからといって「彼がこの選択肢(力士を追いかけて井筒部屋に辿り着く)を取ったから関取になることができた」というのは間違っている。
玉鷲関が幕内最高優勝を果たした理由は、15年間猛稽古を重ねたからだ。
ところどころで稽古をサボっていたら、せいぜい三段目止まりで終わっていたはず。「正しい選択をすれば必ず幸せになれる」という情報商材提供者が大好きな文言は、大相撲の土俵では通用しない。
ローマ教皇の「幸せはスマホアプリとは違う。それをダウンロードしたからといって、あなたは必ずしも幸せにはなれない」という言葉が身に沁みる。
琉球新報の記者とデスクは、その言葉を噛み占めるべきだ。
「お言葉少女」の言葉には説得力が皆無だった
25年前に「日本一美しい日本語を話す少女」として話題になった「お言葉少女」がテレビに出演した。
年を取っても変わらない「美しい日本語」に対して、その番組の司会をしていた古舘伊知郎が開口一番「寒い」と言った。
その上で古舘氏は、
「これは自己パロディではないですかね?」
みたいなことを付け加えた。
「自己パロディ」とは、言い得て妙。つまり、お言葉少女は自分で自分のキャラを演じているというわけだ。
さすが古舘伊知郎だ。新日本プロレスの実況をやっていた時代から、言葉だけで戦ってきた人間は違う。
大人になったお言葉少女の喋り口調は、お世辞にもナチュラルなものとは言えなかった。
はっきり言って、ただの痛いおばさんだ。売れない芸人みたいで、あれを「美しい日本語を話す人」とは誰も思わないだろう。
それは文字通り少女だった頃の映像を見ても分かる。
これを見て、「ああ、この子はなんて美しい日本語をすらすらと話すのだろうか」と思う現代人はいるのだろうか?
25年前なら、彼女をもてはやした人はたくさんいただろう。けれど、その25年の間に人々はネットを通じて、人間の光と影を嫌というほど見てしまった。そういう意味で、人間は進化している。誰が本音を語っているのか、或いは道化を演じているのか、何となく判断がつくようになった。
美しい日本語を話す少女は、自然な言葉で本音を語ることができない。
そのまま成長しておばさんになり、初々しさの枯渇した状態で昔と同じことをやる。そこに美しさは微塵もない。古舘氏の言う通り、寒さだけしか残らない。
言葉は語彙が全てだと思う。
語彙、ボギャブラリーが言葉にあるか否かが重要で、美しい日本語云々は説得力にまったく反映されない。
口は悪いけれど、ふとモノの譬えにシェイクスピア作品の一説を挙げる。その人は一見ジャンクな性格のようで、実はいろいろなことを見て知って経験している。だから並の人間とは知識量が違うし、言葉にもそれが表れている。
だから、その人には意外な人脈と人望がある。
「美しい日本語」を覚える暇があったら、まずは黙って本を読んだ方がいい。
令和最後の日の澤田へ
平成最初の小学館『DIME』の内容を、編集部がツイートしていた。
30年間の技術の進歩は素晴らしいもので、PCひとつとってもまるで別世界。携帯電話なんかは尚更だ。鈍器のような端末がスマートフォンという代物になるとは、誰も考えていなかった。
だから、澤田が今やるべきは「今現在の身近なテクノロジー情勢」を記録することだ。
平成最後の日に、自分がどんな状況に置かれているのかをはっきり書いておく必要がある。
ついでに、令和最後の日の自分へ手紙も書いてみる。
平成31年4月30日の時点で澤田が持っている携帯電話(スマートフォン)はiPhone8だ。
ホームボタンのデザインが好きだから、なかなか最新の機種に乗り換えようとは思えない。どうやら今年末頃に、ホームボタンタイプの廉価版iPhoneが出るらしい。もし本当に発売されたら、多分買う。
今使ってるノートPCのCPUはCore i5-8250U。最近、ようやくCore i第9世代のモバイル版が登場した。だから今の時点のノートPCは第8世代が主流だ。
澤田が物書きのために使ってるのはGoogleドキュメント。そして大抵の編集部は、ワードプレスを採用している。Officeは趣味の物書き以外には使わなくなった。
動画は殆どYouTubeで観ている。音楽はiTunesとAmazon Music。iPhoneにBluetoothイヤホンをつなげて聴いている。
電子決済はLINE PayかOrigami Pay。たまにPayPayも使う。上京した時はSuicaの使用頻度が高くなる。というより、Suicaがなければ首都圏での生活が不便になる。
ところが、静岡市はまだ現金決済が主流だ。コンビニや薬局、居酒屋チェーンでは中国のAlipayも使えるようになったとはいえ、個人商店や公共施設では未だ現金のみ。「電子決済なんかいらない」という年寄りも多い。
ちなみに、東京にはあるUber Eatsは静岡にはまだない。ライドシェアは尚更だ。スマホを使ってタクシーを呼び出すという概念も希薄だ。
田辺信宏市長が、MaaSを整備しようと奮闘してはいる。ただ、どうやら国の許可がなかなか下りないようだ。それに、田辺市長の後援会のスタッフでMaaSについて知っている人間が一切見当たらない。
澤田はスマホゲームにハマっている。
特に『生存法則』と『Cyber Hunter』は面白い。どちらも同じメーカーだけれど。
生存法則は、プレイ動画をYouTubeにアップしている。東方キャラを使ったゆっくり実況だ。編集にかなりの時間はかかるけれど、結構面白い。
ただいかんせん、始めたばかりだからチャンネル登録者は数えるほどしかいない。
令和最後の日の澤田へ。
このブログを書いている時点で、令和年間が何年続くかはもちろん分からない。ただ、皇太子殿下の年齢を考えると優に20年以上は続くはずだ。その次の天皇即位となると、今の皇太子殿下よりさらにお若いと思う。
いずれにせよ、お前さんが今持ってる仕事道具はiPhone8なんかオモチャに思えるほどの性能を持っているはずだ。それだけ時が経ち、お前さんは老けたということ。もしかしたら、ボケが始まってるかもしれない。
ただ、これだけは忘れないでほしい。どうして科学知識のない高卒の男が、テクノロジーライターなんて商売を始めたのか。
それは海外の製品(特に乗り物)をただただ絶賛し、日本の法律を全く考慮しない記事に霹靂したからだ。別に製品を絶賛するのは構わない。それじゃあ、その乗り物を日本の道路で乗り回したら? そういうことに触れない記事があまりにも多くて、「それなら自分が書こう」とキーボードを叩くようになったのが始まりだ。
どこかの勤め人になれるような性格じゃないから、こんな商売に手を出したという事情ももちろんある。
けれど、それでよかったと思うんだ。小野勝也博士から教わった物書きとしての処世術が、平成最後の日の澤田、そして令和最後の日の澤田に生きる糧を与えている。それで充分だ。落ち着いて考えたら、30歳で己の事業所を構えて独立したこと自体が奇跡のようなものなんだから。
令和最後の日の澤田へ。
時間があったら、この記事に返信してくれ。
10連休の過ごし方
ライター、フリージャーナリスト、ノンフィクション作家。これらはいずれも個人事業主だ。
ところが、彼らの書いた記事を構成する編集部は勤め人で、宮仕えで、月給取りで、正社員。10連休もきっちり取りやがるからたまったもんじゃない。編集部がこの体たらく休暇に入っちまったんだから、物書きも休むしかない。
いやー、やることがねぇなぁ。
仕方がねぇから、読書をしてみる。物書きの基礎体力は一に読書、二に読書。普段から読書をしない物書きは物書きとして食っていけない。
とはいっても、今日から長い長い10連休。そりゃ子供は嬉しいんだろうけれど、大人にとっては(特に独身は)どう時間を潰すかでいろいろと思案する。読書をするったって、1冊2冊じゃ足りないだろう。
そこでオススメなのが、塩野七生の本。『ローマ人の物語』の全巻コンプリートとかね。
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そこまでガッツリ行かなくても、塩野先生の文庫本は600円とかで買えるものだから、暇を潰すにはこれ以上ない本だと思うんだ。
『コンスタンティノープルの陥落』なんかは、集中すれば半日もかけずに読破できる量だ。
ただ、澤田が塩野作品で一番好きなのは『十字軍物語』。
優秀な人材というものは、まるで温泉のように湧き出す時期と枯渇してしまう時期が周期しているようで、同じ十字軍でも第1回と第2回で実力差が全然違うことがよく描写されている。
ただ、澤田の場合は塩野作品は大体読んじまってるんだよなぁ……。澤田個人の10連休の暇潰しという話題に戻すと、一度読んだ本にもう一度目を通してみるっつーのはちょっと……というのが正直な気持ち。
これは裏技みたいなもんかもしれんけど、『ナショナルジオグラフィック』の過去ナンバーを読んでみるっつーのはどうだろうか。
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ナショジオは他の雑誌と違って、過去ナンバーが以後数年に渡って販売される。神保町の古本屋に行けば、それこそ20年くらい前のナショジオが置いてあったりする。
昔のナショジオ、結構面白い。当時の最先端テクノロジーが大々的に紹介されていたり、フィルム一眼レフカメラの広告があったり。
澤田の見た自爆テロ
スリランカの連続テロは、日本人も犠牲になった。
シリアやアフガン、イラクならともかく、スリランカは日本人観光客も多い国。そんなスリランカでまさかあんなテロが……と思った人もいると思うけど、インド以東のアジア各国はいつテロが起こっても不思議じゃないという意識でいたほうが安全だ。
別に恐怖を煽ってるわけじゃない。
澤田も3年前、インドネシアのジャカルタでテロに遭遇した。現場のすぐ近くの下宿にいたから、友達の一報ですぐに現場に駆け付けた。もちろん、一眼レフカメラは忘れない。
現場は政府の省庁や外資企業のオフィスが集合している地域で、澤田はこのあたりを毎日散歩していた。この日はたまたま寝過ごしたから、殺されずに済んだというわけだ。
路上に死体が3人分転がっていて、そのうちの2人が自爆実行犯、もう1人が何の罪もない若者だった。
そういえば、この日は知り合いの日本人駐在員とグラップリングの練習をする約束だった。地元選手のフランシーノ・ティルタのジムに一緒に行こうという話だった。もちろん、テロのおかげでそれどころじゃなくなっちまったけれど。
この日から、ジャカルタ市内の鉄道駅やショッピングモールの警備が厳しくなった。
ジャカルタ・コタ駅に行くと、自動小銃を構えた軍人が立っている。ショッピングモールも、出入り口の金属探知機を必ず稼働させるようになった。大きなバックパックを背負って外出すると、ところどころで警戒される。
それ以前のジャカルタは、本当にのんびりしていた。
あの頃はスマホのSIMカードも屋台でバラ売りされていたし、外国人がグラップリングの大会に飛び入り参加して賞金を荒稼ぎすることも可能だった。ショッピングモールの金属探知機は、あってないようなもの。いろいろなところでいろいろな融通が利いていたと思う。
それが、あのテロから一気に変わったというのは事実だ。