たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

花子さんは物書きに必要な要素を全部持っていた

仮にその人を「花子さん」としようか。何たって、実名出すわけにはいかねぇからね。

花子さんは、文章を短くまとめる能力に恵まれていた。これは大抵の場合は「自力で物書きの練習をしてそうなった」っていう感じで後天的なものなんだけど、花子さんの場合は先天的な能力を持っている。誰に言われるでもなく、特に練習もしていないのに、話の要点をきちっとまとめることができるんだな。

フットワークも軽く、好きな鉄道関連の取材に行ったりもする。鉄道会社にアポ取って整備工場を撮影したりもした。首都圏の観光スポットや昭和レトロにも詳しく、下手なバスガイドよりもよっぽど多くの知識を頭の中に抱えている。

おまけに、花子さんはウッドベースを所有しているほどの音楽家。もちろん、音楽に関する造詣も深い。

これだけでも、充分に商業ライターとしてやっていける素質は見出せる。本人の意思も前向きだ。鉄道関連の同人誌を作りたい! と浅草のホッピー通りの飲み屋で熱く語っていたくらいなんだからね。

素質、文才、知識、熱意。その全てが見事に揃った花子さんは、滅多に見かけない逸材だ。話の枕になるネタを常時抱えていて、それを分かりやすく書き表すことができるという能力は、澤田の師匠筋の小野勝也博士も持っていなかった。小野博士は話せば面白い人だったけれど、読んで楽しい短文を書く能力はなかったと思う。

花子さんは紛れもなく天才だ。

ところが、ホッピー通りで同人誌制作の構想を打ち明けてから2年以上経っても、作品らしい作品をこしらえたという話は聞かない。

体調不良で活動できなくなった、というわけじゃない。だって花子さんはTwitterでもLINEでも活動報告をしてるんだから。

 

花子さんは、恐らく今でも勘違いしている。

素質と文才と知識と熱意があれば、あとは自分以外の誰かが成功の道へ導いてくれると思い込んでいる。

だから、ここぞという時に受け身になる。同人誌の具体的な内容が決まって製本の段階になった時に、花子さんは「カラーはお金がかかるから全編白黒にしよう」と言い出した。せっかく時間をかけて撮った写真を白黒にしちまうのか? と他の仲間は反発したんだけど、さらに花子さんはこんなことを言った。

「印刷所に頼むよりも、自分でコンビニに行ってプリンターで刷ったほうが安くなりますよ。もちろん、製本も自分でやります」

モデルまで用意して撮影した写真なのに、肝心の同人誌はペラペラのコピー用紙に印刷した白黒画像で済ませようと言ったわけだ。

それが読者に対する侮辱で、自分を裏切る行為だとは露ほどにも考えない。

最後の最後で手を抜いても、他の仲間がきっと成功を呼び寄せてくれる。花子さんからして見れば、自分は屋形船に乗ってる客のような気分なのかもしれない。船頭がいるから大丈夫、という態度だ。

自分が始めたことなのに。

 

澤田は花子さんのことが今でも気になる。

花子さんは、決して性格の悪い女性ではない。いつも物腰柔らかく、他人の陰口を叩くようなこともしない。

ただし、その瞬間の幸せな思い出だけをひたすらに追い求めている節がある。思い出さえ作ることができれば、今までそれに投じてきた他人持ちの費用や労力は一切度外視する。

それが罪悪だと、花子さんは一切考えない。

商業ライターで稼げないわけだ。