例の#Kutooのライターについて
フリーライターとはどこかに所属のライターとは違って、ネタ探しも自分でやらなきゃならない。
世の中には事象が転がってるんだけど、その事象が必ずしも己の得意分野に合致するとは限らない。
例えば、iPhoneがアップデートされた。けれど最新のiOSにとんでもないバグがあって、世界中のAppleユーザーが迷惑している。こういう事象があれば、仮にも世間に対してガジェットライターを名乗ってる澤田は1本くらい記事を書ける。けれどスマホやモバイルにあまり詳しくないライターは、その事象に飛びつくことができない。
どこかの製薬会社の風邪薬に副作用があることが報告されている。この事象に、医学のいの字も知らない澤田が飛びつくのは不可能だ。こういうことは副業でライターやってる医者に書かせるのが一番。
こんな感じで、世に事象はたくさんあるけれど実際に記事を書けるか否かはまた別問題というわけだ。
だからこそ「ネタ切れ」という現象が発生する。
だったら、その事象を恒常的に生産してしまえ。
石川優実というライターは、というより彼女が今現在属する界隈の人々は、どんなこすっ辛い手を使ってでも事象を自作することにした。
自分に向けられたリプライじゃないのに、それを「私に対するクソリプ」と言って1冊の本にまとめてしまった。
本人としては、今後もこの調子で事象の生産をしていくつもりなんだろう。
"現在でも閲覧可能な投稿51件のうち、実際に石川氏にリプライを送っていたのは12件しかなかった。それ以外の39件は投稿者が石川氏のアカウントには関与しておらず、単独投稿もしくは他のアカウントへ投稿していたところへ、石川氏が引用リツイート機能を使って投稿" https://t.co/rNL8cpFg8G
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) November 30, 2019
こういうことをしているだけで、石川氏のライターとしての能力というか、ネタの豊富さというか、そういうものが見えてくる。少なくとも、専業や第一兼業でプロ物書きをするべきではないタイプだ。
この人は「事象生産マシーン」がなければ、ライターとして名を挙げることは絶対にない。
てか、MetooもKutooもそろそろ耐用年数に近づいてるから、それが稼働しなくなれば新しいマシーンを作る気なんだろう。そのためにいくつかの裁判を抱えていたとしても構わない。結果的に己の帳簿がプラス収支になれば、それでいいわけだ。
ドコモのショップに中高年が押し寄せるようになった!
いや、ドコモだけじゃないんだけどさぁ……ここ最近、電話屋さんのショップに中高年が詰めかけるようになったことが澤田の目からでも分かるんだよね。
その中でもドコモは、ほぼ毎日「スマホの使い方講座」を開いてる。その分野に力を入れているということだ。
これは明らかに政府のポイント還元事業の影響で、お国がこういうことを始めてようやく「自分もスマホ持ってないとまずい」と思うようになったわけだ。
アベが税金使って訳の分からんことやってるだなんていう人もいるんだけど、国がこういうことやらんとスマホに触ろうともしない人々がいることは不動の事実。それが日本なんだよ。
ただそうはいっても、マイナポイントは大混乱を生み出すんじゃねぇかと澤田は思案している。
マイナンバーカードを取得するまではいいけれど、そこからPCないしスマホでマイキーIDを設定して、それをキャッシュレス決済サービスと紐付けしなきゃいけない。さあ、この作業を自力でやってください! と総務省がお触れを出したら、その段階で全日本国民の半分はキャッシュバック争奪戦から脱落する。
ポイント還元事業にしろマイナポイントにしろ、国民間の情報格差が思いっきり露呈する。そういう性質の政策だ、ということはハナから心得ておくべきだ。
で、自力でマイキーIDを取得できない人(なおかつ、それができる身内がいない人)はどこに行くかといえば、市役所だろう。こういう部分で総務省は「自治体の協力」を呼びかけるはずだし、現にそうしているらしい。
――役所とか自治体で設定してくれないの?
自治体に「設定の支援」を協力していただけないか、お願いをしています。
私たちとしては財政支援という形で補助金を用意していて、それを使って準備を進めている自治体もあれば、まだこれからというところもあります。――「設定の支援」ということは…設定は結局自分でやるの?
マイナンバーカードは個人情報にあたるものですから、役所の人などが見てしまうのはどうしても良くないというわけです。
ですので「カードリーダーライターをセットしてください」とか、「マイナンバーカードをここにかざしてください」とか、「IDが出てきたらメモしてください」とかそういったところを支援します。
マイナンバーカードは自治体が交付するものですから、受け取りと一緒にIDを設定する流れを作ることも含めて、自治体で支援していただけないかと、お願いしているところです。
そうはいっても、役所の中に「マイナポイントコーナー」を作ったり、そのためのPCやカードリーダーを揃えたりするのは相当な作業だと思う。人手も必要だしね。
そこに地域の中高年が押し寄せて、カオスな光景になっちまうんじゃねぇのか?
こうなるくらいなら、マイナポイントなんかやめてポイント還元事業の期間を延長すればよろしい。
マイナンバーカードの普及率向上というけれど、だったらマイナンバーカードにQuickPayとかEdyとかの機能をつけて電子ウォレット化すればいいじゃん。
現状、マイナンバーカードなんか持ってても使う場面がまったくないからみんな作らないんでしょ?
これがお役所センスって言うのかなぁ……。正直、「マイナポイント」っつー名前もダサいしね。
「アプリはレベルが高いからブラウザ版に絞ろう!」という発想の日本版MaaS
ちょっと呆れた内容の記事を読んでしまった。
いや、別にライターの書き方が悪いとか、記事内に出てくる人物がおかしいとかそういう意味じゃなくて(むしろ記事にしてくれたライターに感謝)、少子高齢化社会に突入している日本の現状をまざまざと表している内容に若干絶望しているというか……。
衝撃的なのは、以下の記述。
さらに「アプリのダウンロード」そのものにも相当なハードルの高さを感じたという。年代が上がれば上がるほどスマートフォンを所持していなかったり、アプリをインストールするという作業が分からない人が増え、Izukoのサポートセンターに寄せられた問い合わせで一番多かったのが「ダウンロード方法」にまつわるものだった。
何? 「アプリをダウンロードする」っていう行為自体が特殊技術なの?
そうなんだ、特殊技術なんだ。自分の手でググったり、都合のいいアプリを探したり、それをダウンロードしたりするのは高等テクニックなんだよ。
それは結局、日本の家電製品普及は個人経営の電器店と共にあったことの裏返しで、テレビや冷蔵庫や洗濯機なら電器店に電話すればいつでも使い方を教えてくれる。三種の神器も3Cも、町の電器店のオヤジが普及させたようなものだ。
ところが、スマホではこの仕組みで普及させることができない。それは結局、スマホを製造しているメーカーとアプリを作って配信しているメーカーがまったく別の存在だからだ。
ゲーム業界で言うところの「サードパーティー」が通信業界にも定着し、ハードに取り込むソフト(アプリ)はユーザー自身の手で探すことが当たり前になった。
「とりあえず自分の考えで好き勝手にいじってみる」という、日本人が一番苦手とする行動を経ないとスマホというものは使いこなすことができない。
で、この記事の本題の「伊豆半島の観光型MaaS」なんだけど……こういう流れで「アプリを自分でダウンロードできない人」の存在が明白になった時、「なら、今後はそのレベルの人たちに合わせてプラットフォームを設計しよう」ということになるのが一番怖い。
いわゆる「護送船団方式」で、常に「使いこなせない人々」を主軸に新しいものを作ってしまう日本人独特の発想。けれど、黒船が何隻も押し寄せているMaaSにそんな考え方は通用しない。
正直、その兆候はもう出てる。
また、伊豆半島に住む高齢者の日常の足としてもMaaSの活用は考えられており、スマートフォンなどを使わなくても、例えばテレビとリモコンで乗り合いタクシーの予約などができるiTSCOMの「テレビ・プッシュ」サービスを普及させていく。
テレビ受像機に恨みを持っているわけじゃないけれど、こんなのはいらない。
そんなの使うくらいだったら、最初から電話でタクシー会社に連絡するよ。スマホが使えないのにそんな余計な利器を使いこなせるとは、とても想像できないしね。
もっとも、伊豆の観光型MaaSの件はこれ自体がまだ実証実験の段階だということを差っ引いて考えないといけない。
そうであるなら、アプリの廃止は決して悪手ではない。それに、どうせローカルなサービスなんだからアプリは無駄だという理屈も分かる。
ただし、このIzukoの利用者数が順調に増えていけば、いずれ「サービスのアプリ化」は要望として上がってくるはず。Facebookをブラウザで使ってる澤田が言えたことじゃないんだけど、長い目で見ればアプリは絶対に必要なものになってくる。
「アプリとブラウザの両方用意すりゃいいんじゃねえか」というのが、澤田の正直な感想。
「マスコミが伝えない真実」を信じている人がいる限り、トレンドブログはなくならない
煽り運転騒動の時、ネット民から「ガラケー女」認定されてしまった女性がいた。
この女性は、Instagramで暴行犯にフォローされていたというだけで共犯扱いされた。
デマの拡散に大きな影響を与えたのは、トレンドブログだ。
クラウド求人サイトでこのテのトレンドブログ執筆者を募集する、ということは確かにある。1記事1000円でも割がいいほうで、まあ大抵は1記事500円とか200円とかじゃないだろうか。もちろん、そんな程度の報酬じゃ澤田はやらないけどね。
それで……何でこんなトレンドブログに需要があるのかというと、つまるところ「大手マスコミが報道しない真実を知りたい」という人がこの世には大勢いるからだ。
新聞は「紙の枚数」、テレビのニュース番組やワイドショーには「尺」というものがあって、この世で発生している全ての出来事を完璧に報じ切ることはまずできない。
ところが、そこに世間一般との感覚のズレも当然出てくる。「どうしてこんな大事なことを報道しないんだ!」ということが、しばしば起こるわけだ。
昔だったらそのモヤモヤは噛み潰すしかなかったんだけれど、今はSNSというものがある。「こんな大事なことを、新聞社は全然伝えていない!」という意見表明ができる。
端的に言えば、トレンドブログはそれをカバーしている。しかも、その話題がトレンドになってからほんの数時間、場合によっては30分くらいで記事がアップされる。
一番ありがちなのは、
「あの事件の被疑者の実名が報道されていない!」
という大衆の欲求に沿うような、
「○○事件の犯人の実名は? 実は××社の社員だった?(※記事内に実名表記有)」
という感じのタイトルを関した記事。冒頭の「ガラケー女」の濡れ衣を着せられた女性も、こんな感じで悪者にされた。
つまりこのテのデマは、
「何で被疑者の実名をマスコミは報じないんだ! 何か裏があるんじゃないか? 犯人を社会的に抹殺しろ! そうしなければ不公平だ!」
という日頃溜まった閉塞感から来る「誰かを叩きたい欲求」を、見事に刺激しているわけだ。
いつも言うことだけれど、常に勝者はGoogleだ。
澤田を含めたWebライターは、そのおこぼれをもらっているに過ぎない。
記事内広告を流している側から見れば、その記事の内容が真実かそうでないかは大した問題じゃない。結果的にその広告の商品に人が寄ってくればいいんだから。
それじゃあ、そんな仕組みのWebに秩序をもたらそう……という動きは確かにある。
ところが、GoogleにしろFacebookにしろTwitterにしろ、それを設計した側の人間は基本的にアダム・スミスの弟子のような人々だ。
多少のフェイクニュースや誹謗中傷が配信されていたとしても、全世界のネットユーザーの完全自由を保証すれば「神の見えざる手」で世界がいい方向に動くと確信している。
悪い情報は、それを国が規制せずとも消費者自身が駆逐してくれるだろうという前提だ。とくにTwitterには、その発想が設計として露骨に出ている。Twitterがつい最近まで誹謗中傷対策に消極的だった理由は、それしかないと澤田は思っている。
いずれにせよ、トレンドブログというものは国が規制でもしない限りはなくならない。
ただし、Googleも対策を施すようにはなってきている。メディアと個人ブログの記事をしっかり区別し、検索順位でメディア記事>ブログ記事という感じの整理をやるようになった。
それと、トレンドブログの危険性もだんだんと認識されるようになった。少しずつではあるけれど、「マスコミが伝えない真実」と銘打たれている記事ははっきり言ってゴシップみたいなもんだという意識が浸透している。
あと、デマ情報をリツイートしただけでも訴えられるということが広く知られるようになり、そのあたりに気を遣う人も増えた。そういう意味で、Webの世界は着実に進歩している。
貴ノ富士がワイドショーのスターに昇格!
貴ノ富士は、ある意味では貴乃花の一番弟子と言うにふさわしい人材だ。
ワイドショーが一時期韓国政界の話題ばっかりやってたのは、要は貴乃花という日本史上最大のゴシップスターが相撲協会を離れて「ただの人」になっちまったからだ。
貴乃花に関するネタがなくなれば、材料も枯渇していく。仕方ないから、近隣諸国から昼ドラチックのネタを仕入れてくるしかない。
貴乃花(というより花田家)がどれほど優秀なゴシップスターだったか。それは貴乃花VS伊勢ケ浜騒動が、北朝鮮のミサイル発射の話題すらも押し切ったことからもよく分かる。
貴乃花が協会外に出た今、単に貴ノ富士の暴行だけじゃ大きな話題になり切れない…と思ったら、平成の大横綱の一番弟子は記者会見でやらかしてくれた。
「自分は中卒だから、指導の仕方もよく分からない」
という小学生でもしないような言い訳を公言して各局ワイドショーの制作スタッフを狂喜乱舞させている。これでもう、韓国法相やらスウェーデンの号泣少女やらの話題はすっ飛ぶだろう。
貴ノ富士は、ある意味では貴乃花の一番弟子と言うにふさわしい人材だ。
小野博士が少年革命家やトゥンベリさんに会ったら、多分ブチ切れてると思う
スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥンベリさんに関する澤田のツイートが、絶賛バズり中だ。
トゥンベリさんの話題に対して、Yahooニュースに素晴らしいコメントがあった。
— 澤田真一@面白ノンフィクション作家 (@tech_sawada) September 24, 2019
特に、彼女の中では「自分以外の誰かの責任」というのは見事に言い得ていると思う。
どんな社会問題も、その解決には恐ろしく地味でどうでもいい苦労ばかり続く。それを無理矢理飛び越えようとする人間は信用できない。 pic.twitter.com/xz8ZlN8hbS
彼女の主張を否定する意図でこういう投稿をしたわけじゃない。「これはこれで、耳を傾ければいい」と指摘もあった。その通りだ、と澤田も思う。
けれど現実問題、「主張が正しい」から「その人物を信頼できる」というわけでもないのは、日本人だって散々っぱら学習してきたはずじゃないか。
TEDカンファレンスで「もはや無くなる将来に向けて、なぜ勉強すべきと言えるのでしょうか?」と言った同じ口で、「私だって学校に行きたい!」と言い放ってしまう心理。正直、澤田にはその整合性が見出せない。
本当に悪いけれど、彼女からは例の少年革命家と同じ雰囲気しか感じ取れない。今のところは。
この両者には共通点がある。
「学問の習得」を二の次にしているという点だ。
人間は科学法則には逆らえない。
アレキサンダー大王だろうとチンギス・ハーンだろうとナポレオンだろうと徳川家康だろうと安藤広重だろうと西郷隆盛だろうと力道山だろうとジャイアント馬場だろうと長嶋茂雄だろうと王貞治だろうとエディ・タウンゼントだろうと井岡弘樹だろうと、石炭を燃やせば必ず二酸化炭素を発生させる。
世界のどの学校で理数系科目を学んだとしても、その中身は寸分も変わらない。
だから、「政治家が教育システムを牛耳ってるから」なんていう理由で学問を放棄しては絶対にいけない。
独裁者タイプの政治家が欲しがっている人材は「学がない代わりに声の大きい奴」だからだ。
己の熱意だけで動くタイプの人間が分かってないのは、何かしらの斬新なシステムを構築するのには必ず「数学の得意な奴」が必要になってくるということだ。
集まってきた人間の中に誰一人として数学のできる奴がいなかったら、プロジェクト達成どころの話じゃなくなる。
どうして彼女は、学費がタダの国の国民なのにそれが理解できないのだろうか。
澤田の師匠の小野勝也博士は、常に「学問、学問、学問」の人間だった。
学問につまずいた学生に対しては優しく接し、肩を貸してくれた。一方で学問を最初から諦めている学生に対しては本気で怒鳴った。
小野博士は、澤田の「板書ができない」という性質を知っていた。だから「君は私の講義を真面目に聞いているから」という理由で評価してくれた。この恩は生涯忘れない。
澤田の好きなことを、学問としての体裁を整えた上で好きなようにやらせてくれた。どんなことだって学問につながる、というのが小野博士の考え方だったんだと思う。けれど、その分だけ学問の習得を軽んじる者や「学問不要論」を唱えるような奴に対しては八つ墓村の多治見要蔵のような態度で迫った。
「人間を進化させるには学問しかない」という澤田の考えは、小野博士の受け売りだ。
もし小野博士が少年革命家とトゥンベリさんに会ったら、多分、というより間違いなくブチ切れてると思う。
学問を低く見ているからだ。
NHKが「唯一絶対神」と化している件について
最初に断っておくけれど、別に澤田はNHKを毛嫌いしているわけではない。
ニュースも観るし、『逆転人生』は大好きな番組だ。大河ドラマも毎週目を通している。NHKオンデマンドにも入会している。
ただ、現実問題として少子高齢化の進む地方都市ではNHKは宗教のようなものだ。
静岡市でもそのきらいがある。NHKは茶農家には欠かせない遅霜情報を配信してくれている。こんなのは民放ではやらない。だから、大抵の人はNHKに情報依存している。
そうして積み上げた信頼性は基本的にはいいことなんだけれど、そのせいで「NHKでやらないことは真実ではない」という風潮が確立してしまった。
はっきり言って、静岡市ではWeb物書きの影響力なんて皆無に近い。
毎日Web向けの記事を書いている澤田がどんなに声を荒げて「QRコード決済はこんなに普及してるんですよ」と言っても、正直静岡市では通用しない。
それはNHKが放送して、初めて説得力を帯びる。言ってることは同じなのに。
そういう意味で、NHKは宗教と化している。ただしこれは、NHKには一切落ち度はない。
もしその結果、地方間の情報格差が広がったとしても、NHKは責められるべきではない。
それが全てではないけれど、情報格差が生まれる背景にはNHKもあると思う。
NHKに依存し過ぎているせいで「スマホなんかいらない」という発想が出てくる。NHKを常時視聴できるテレビ受像機こそが唯一絶対の映像メディアで、ネットフリックスやらAmazonプライムビデオやらhuluやらは番外地、というよりも別世界の話。ビデオ・オンデマンドに市民権はない。
だから、これらのサービスでしか視聴できないドラマ作品は一流ではない。新しいメディアで奇抜なドラマを観てみたい、という思惑すら地方では出てこない。『全裸監督』みたいなのが話題になることはない。
さっきから「ないない」づくしだけど、それだけ都市部と地方部の情報格差は大きいということは強調しておきたい。