たまには澤田もエンターテイナー

ノンフィクションライター澤田が、このブログではエンターテイナーになった気でいろいろ振る舞います。

マイナンバーカードが映し出す「情報格差」

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10万円給付金のオンライン申請、あれはデジタル化すべき部分がなぜかアナログ作業だから案の定混乱している。

たとえば、朝日新聞のこの記事。

対象者に正しく支給するには、世帯情報をまとめる住民基本台帳ネットワークの情報と申請時に入力された情報との照合が必要だ。世帯情報は自治体だけが持っているため、申請内容が正しいかどうか、職員が1件ずつ確認している。区は担当する職員を急きょ増やして対応する計画だが、郵送申請以上に時間と手間がかかり、郵送よりも給付が遅れる恐れもあるという。

www.asahi.com

要は情報の確認を人間の目がやってるから余計に手間暇がかかる、という内容だ。

これじゃあ、何でマイナンバーカードなるものを必ず使わせているのかが分からない。

前回の記事の繰り返しになるけれど、そもそもマイナンバーカードの設計思想自体が旧態依然としている。カードを受け取るのに、必ず市町村の役場に足を運ぶ。徹頭徹尾在宅で手続きを済ませられるのが「オンライン申請」というものなのに、たかだかパスワード設定のためだけに外出する。まさに本末転倒。

ところが、この欠陥を「欠陥」として認識している国民がどれだけいるかという話になるとまた別問題だ。

情報格差の向こう側の人々は、「お役所関係のことで困ったら役場へ足を運ぶ」というのが生活習慣になっている。だから「マイナンバーカードを役場で受け取る」というのが本末転倒な現象だということに、いつまでも気づかない。

気づかないから、「マイナンバーカードの設計思想そのものを見直そう」という声すら発生しない。

 

Twitterの住人が考えている以上に、情報格差というものは巨大だ。

タブレットの画面に文字通り触れない人だってたくさんいる。「機械に疎い自分が触ったら壊れる」と思い込んでいる。昔のタイガー計算機と同じ感覚でタブレットを見ているわけだ。

そんな人間を増やさないために小中学校のIT教育があるんだけど、それすらも「PC業者と政治家の癒着」という文言で切り捨てようとする高齢の新聞記者がいる。

だったらデロリアンでも改造して70年代に帰れば? と考えてしまうのは人情というものだ。

こういう背景がある限りは、マイナンバーカードの仕組み上の欠陥は「改善」や「修正」だけに留まるだろう。根本的な「見直し」に至る可能性は低いと澤田は見ている。

こうしてマイナンバーカードは、住基カードの二の舞になっていくのだった。

マイナンバーカードは日本のIT政策の「限界」を示している

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 マイナンバーカードは、要は「印鑑の延長線上」だ。

物体としてのそれがなければ何もできない、という点で銀行のキャッシュカードと全然違う。

ネットバンキングは、利用者がIDとパスワードを覚えてさえいればいい。携帯電話やメールアドレスと紐づけして認証番号を送信する、という手段も確立されている。いわゆる二段階認証だね。

けれど、そんな概念はマイナンバーカードにはない。

 

マイナンバーカードの申請はオンラインからでもできる。

PCがなくてもスマホでできる、というのは一見すると強みに見える。ところが、マイナンバーカードの受け取りは自治体の役場で行われる。つまり、どちらにしろ必ず外出しなきゃいけないわけだ。

しかもパスワードの再発行も役場に行かなきゃいけない。そのせいで窓口が混雑している。

www.asahi.com

「改善が必要」と言うけれど、これは「改善」じゃ済まない仕組み上の欠陥だと澤田は考えている。

だってこれは、「印鑑の延長線上」だから。そもそもがそういうコンセプトだから、「改善」というレベルのものじゃまだ足りない。

何でICカードリーダーが高値転売されるようになったのか? 政治家と役人がそれを本気で考えない限り、マイナンバーカードは「印鑑の延長線上」から進化しないだろう。

新型肺炎とテレワークと「世間体」

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首都圏を一歩離れれば、スマホもPCも持ってない「デジタルデバイドの向こう側の人」がかなり多く存在する。

その人に、何か突出した技能があれば別に構わない。けれど、できる仕事といえば風俗店か金融業者の看板を身にまとうサンドイッチマンしかないというレベルで、スマホを使えないから求人情報も紙の本で読むしかない。

一方で、幸いにも資産というものがあり、そこからもたらされる収益で生活している場合。けれど、いや、だからこそスマホを持たずとも暮らしていける。じつは地方にはこのテの「向こう側の人」が多くて、地元の市長や市議会議員の後援会にも深く関わってたりするから厄介だ。

「個人がスマホを持っていない」ところまでは、別に口を出すべきことじゃない。けれど、「現代社会にスマホは絶対必要」というのは自明の理であって、彼らはそれすら認めようとしない。世の中を「ムラ」としか捉えない、田舎の人間にありがちの発想だ。

車に話を置き換えれば分かる。自分は自動車免許を持ってないから、自分の住む地域にも車なんざ必要ないと言ったら、家族から「病院行ったほうがいいんじゃないの?」と心配されちまうはずだ。

「自分(個人)はそれを持っていないから、ムラにも必要ない」

そう確信している人間に一撃食らわせるには、ムラよりも権威のある中央政府が「お前らテレワークしろ」と命令してやるしかない。

 

そもそも、「テレワーク」という単語自体は新しいものでも何でもない。70年代から存在する。

なのに日本人が半世紀近くも「テレワークの可能性」に目を向けなかったのは、つまるところ最先端技術を理解しない「ムラの長」がいるからじゃないかと澤田は考えている。

自宅勤務は働いているうちに入らない。労働とは毎日自宅から満員電車に乗って職場に出かける行為を指す。ムラの長がそういう発想に留まっているうちは、所属企業の社長が何と言おうが社員たちは世間体を気にせざるを得ない。

今の今までテレワークが普及しなかった理由は、「世間体」という要素も大いにあるんじゃないか。

 

だからこそ、旧来の「世間体」に代わる新しい「世間体」を見つけなきゃいけないわけだ。

「自宅勤務は仕事のうちに入らない」という世間体が、「新型コロナウイルスの拡散を阻止しよう」という世間体に塗り替えられている。

「世間体」という言葉がふさわしくないというなら、「スローガン」とでも言おうか。アメリカ軍が駐留してなきゃ日本はガチガチの共産主義国になってたんじゃねぇかと思っちまうほど、この国の住人はスローガンに弱い。

今の政権は、その理屈を骨の髄まで承知している。2020年の日本が昔のチェコスロバキアに似てる部分があるのは、多分そういうことじゃねぇのかな。

世間体には世間体で。スローガンにはスローガンで。

そうでもしないと、本当にそうでもしないと、自分自身で最先端テクノロジーを学ぶことが苦手な日本人の間でテレワークなんてものは普及しない。

台湾のIT担当大臣が日本人だったとしても、この国は絶対に変わらない

台湾のIT担当大臣オードリー・タンが、また話題になっている。

品薄状態のマスクの在庫を確認できるプラットフォームを、オードリーが数日で作った件だ。

www.mag2.com

「オードリーのような人材がIT担当大臣だったらどんなにいいか」という気持ちは、澤田もよく理解できる。

けれど、仮にオードリーが日本人で、今の印鑑存続派の大臣を椅子から引きずりおろしてIT大臣になったとしても、彼はネット民が期待するほどの活躍はできないと思う。

簡単な話で、もし日本で同じようなプラットフォームを政府が作ろうとしても……。

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という反応が最大票田にいる人々から返ってくる。

残念ながら、日本の地方部ではネット世論は強いインパクトを帯びていない。静岡市という土地でIT講座をやってみると、それがよく分かる。

スマホでタクシーを呼び出せるサービスを作ろう」と言っても、帰ってくるのは冷笑と嘲笑ばかり。地元新聞社の記者ですら「そんなのは必要ない」と言う始末。ちなみにその記者は自前のWebメディアを運営しているにもかからわず、「PV? UU? 何ですかそれ?」と澤田に尋ねていた。静岡経済新聞ってとこなんだけどね。

だからこそ地方ではNHKがとてつもない影響力を持っているわけだし、言い換えれば「NHKで報道していないことは真実ではない」という空気が存在する。

日本は台湾ほど若い国じゃない。

そういう事情があるのなら、一刻も早くスマホを介したインダストリー4.0を実現させてマンパワーを削減しよう……という意見が出てくるべきなんだけれど、その辺りは恐らく「何事にもカスタマーサービスを必要とする」日本人の国民性が絡んでるんじゃないかと澤田は思案している。

以前書いた「町の電気店」の話にも通じる。

sawada.hateblo.jp

オードリー・タンは日本に生まれなくてよかった、と思う。

出羽守になるつもりはないけれど、70年代に黄金期を迎えてしまった日本で「オンラインテクノロジーの有用性」を訴え続けることは非常に難しい。「日本は50年前に戻るべきだ」と考えている有権者が、あまりにも多い。

そうなると、結局は「情報格差=経済格差」の構図がますます顕著になっていくと澤田は考えている。

情報商材を買うカネがあったら、野村克也の本を買え!

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 ノムさんは100歳まで生きると確信していたから、今回の訃報はショックだ。

物書きとしての澤田は、ノムさんからも絶大な影響を受けている。

ビジネスパーソンに人気の高いノムさんの本だけど、それは物書きにとっても同じだ。てか、TwitterやらnoteやらBrainやらで「コネなしから月収ウン百万円!」と煽る情報商材よりもノムさんの著書を読んだほうが、何億倍も身になると澤田は考えている。

 とくにノムさんが何度も書いていた、

・努力に即効性はない

・ひたすら考える

このふたつの要素は常に心掛けているつもりだ。

 

南海に入団した頃のノムさんは、契約金ゼロのテスト生だった。

いや、それどころか本人は「臨時雇いのブルペンキャッチャー」と言っていたから、ルーキー時代の待遇は最悪だ。

それが結果的には22年も南海の正捕手に君臨し続けた。ノムさん以外に一軍で100試合以上出場したのは、ノムさんの前の正捕手の松井淳と「弟子初号機」柴田猛だけ。しかも柴田は、ノムさんと全く同じ発想の捕手だった。

「どうやったらプロ野球の世界の中で生き残れるか」ということを徹底的に考えた結果、ノムさんのプレースタイルを超える選手はついに現れなかったということだ。

ノムさんの本を読んだ澤田は、「プロ野球選手とWeb物書きはそっくりどころか殆ど同じじゃねぇか!」と確信した。

物書きも常にサバイバルを強いられる商売。

ノムさんは何よりも、「自分たちで考える」ことを優先させる。ID野球はそのテンプレートを配って、一字一句そっくり実行に移させるという性質のものではない。「これこれこういうデータがある。その先はお前が考えろ」がID野球だ。

つまり、「ここをこうすれば必ず勝利できる」というわけじゃないということだね。

ある意味で、現代人の好みと逆行しているプロセスだと思う。

現代人は、できるだけ早く結果を求めたがる。自分が考えることすら面倒で時間がかかるからやりたがらない。誰かが既にパッケージ化した成果をカネで買おうとする。

だから、情報商材がよく売れる。

 

仮に、その情報商材のおかげで大金を手にしたとしようか。けれど、それは間違いなく一過性だ。次は絶対に来ない。

澤田が物書きとして成り上がったのは「奇跡」だと、以前にも書いた。けれどそれは「ただの男がWebメディアで書くようになった過程」の話だけであって、「物書きになったあとのサバイバル」は己の知識と身の振る舞いに頼るしかない。そのあたりは「奇跡」ではどうにもならない。

プロ野球の球団にドラフト指名されるのは、運の要素もあるだろう。問題はその先、年俸何百万円の育成選手になったあとは嫌でも己の脳みそで「サバイバルの方法」を思案しなければならない。

ID野球は、確かに面倒くさい。

けれど、それを身につけたら一生モノの財産になる。

だから、情報商材なんか買うカネがあったら、ノムさんの本を買おう。

あんふぁんWebの件が澤田にも飛び火か?

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澤田が一昨年書いたこの記事が、今このタイミングでPVを集めている。

sawada.hateblo.jp

要はあんふぁんWebでの一件を、とあるワイドショーが別の件とごちゃ混ぜに報道したから澤田のブログにもその影響が出たっつーことだ。

「別の件」とはもちろん、It Mamaのキャベツ解熱法のこと。

それぞれの件につながりは全くないんだから、無理やり束ねて報道するのはやめてほしいんだけどね。

 

あんふぁんWebで記事を書いてた他のライターが気の毒だ。

この人たちにとっては、今回の件はとばっちり以外の何ものでもない。

ライターが他のライターの記事を配信前にチェックする、というのはできない。それは明確な越権行為で、ライターというのは編集部全体から見れば一番下の立場。記事のチェックは編集部員の役割だ。

そもそも「ライターがほかのライターの記事をチェックする」ということを許せば、ライター同士のヒエラルキーができてしまう可能性が出てくる。だからこそ、編集部員の責任は重大。いい編集部員に巡り合えたら本当に幸運で、中には「こいつの目は節穴か!?」と言いたくなるような編集部員もいる。誰とは言わんけど。

だから今回のあんふぁんWebの件は、

1.ライターの中に疑似科学を信じている人がいた

2.編集部がそのライターのトンデモ記事を見落としてしまった

という2つの要素が絡み合って炎上に至ったのだと、澤田は認識している。

言い換えれば、該当の記事とは全く関係のないライターには一切非はないということだ。

この人たちのことまで「トンデモライター」と指差すのは間違っている。

 

それにしても、「自然派ママ」の闇はかなり深いと澤田は改めて感じている。

抗生物質とワクチンは「製薬会社の陰謀」で、子供の健康を害する薬物だ。だからワクチンは打たないし、抗生物質にも頼らない。自然と共に生活するのが一番だ――。

断言するけれど、人間は「自然と共に生活」していたら多産多死になってしまう。

澤田の母方の祖母は、兄弟姉妹が10人くらいいたそうだ。ところが、その中で成人できたのはたったのふたり。うちひとりが澤田の祖母、もうひとりが大伯父で、彼の孫が澤田よりも3つ上だったかな?

ともかく、昔はそんな具合に「たくさん産んでたくさん死なせる」が当たり前だった。いや、乳児死亡率が高かったからその分だけ産まなきゃ家を存続させられなかった。

人類が多産多死のスパイラルからようやく抜け出せたのは、抗生物質とワクチンが登場してからだ。そう考えると、フレミング博士は人類史上トップクラスの偉人だと思う。

にもかかわらず「抗生物質は身体に悪い。ホメオパシーに公的保険適応すべき」なんて言い出すのは、実は現代医学の恩恵を隅から隅まで享受している証拠でもある。

結核も梅毒も天然痘もペストも恐れるに値しない病気になった。

人間の寿命は、明らかに延びている。それを「ナチュラルじゃない」という理由で否定するのなら、その人にかける言葉はもうない。

Origamiと六本木ヒルズ

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Origami Payを運営していたOrigamiは、いわゆる「ヒルズ族」だった。

それが最終的には悲惨過ぎる最期を迎えた。

1株1円。それが全259株。

要はそうなるだけの負債を抱えている、ということで間違いはないと思う。

で、この件についてヒデヨシさんはこう書いている。

oreno-yuigon.hatenablog.com

オリガミの2018年12月期の売上高は2億2千万円で、営業赤字は25億円。

そんなオリガミのオフィスは六本木ヒルズの31階で、賃料は3億円前後だと言われていた。

オリガミの経営が危うくなったのはスマホ決済の競争激化による消耗が大きいのだろう。

もっと伸びると思っていた事業が想定よりも儲からなかったのは経営の難しいところだ。

しかしながら、事業規模に見合わない採用増加やオフィス賃料の負担も大きなコストとしてのしかかっていたのではないだろうか。

本業がそれほど儲かっていないうちから賃料がクソ高い六本木ヒルズに引っ越した康井社長に、

見栄を張りたい気持ち

がなかったとは言えないだろう。

この意見に、澤田は全面的に賛成する。

ただ、経営陣の「見栄を張りたい気持ち」よりも、今現在のオンラインビジネスのトレンドを把握してなかったんだろうなということを澤田は感じた。

「オンライン」とは、どういうことか。世界のどこにいても同質の仕事ができる環境を指す、と澤田は勝手に定義づけている。つまり、本社オフィスが六本木ヒルズである必要はまったくない。

むしろ、不動産価格の高い首都は避けたほうがいい。

これはフランスのパリなんかが深刻らしいんだけど、なんでパリの会社員はみんなコワーキングスペースへ行くのか。ある人から聞いた話によると、「行かざるを得ない」らしい。

外国人がパリの土地を買いまくるせいで、資金力のない中小企業ごときでは大きなオフィスを借りることができなくなる。職場が小さいもんだから、いつも誰かが席を空けないとやっていけない、というわけだ。

「お前、そろそろコワーキングスペースに行け」と上司に追い立てられるという。

それに加え、どこの国の政府も有望なスタートアップはできれば地方都市に腰を据えてほしい、という思惑を持っている。

都市部と地方部の経済格差を望んでいる政治家はいない。

日本だって、少子高齢化の波が地方都市に押し寄せている。余程の馬鹿でない限り、若い世代の率いる新興企業の存在を拒むことはしないはずだ。

 

いくら可能性があるとはいえ、スタートアップが六本木ヒルズにオフィスを持つという発想は、15年前の古いものだ。

スマホと4G、そして5Gは新興企業を「都会から地方へ」という方向に導こうとしている。

今後、5Gが整備されれば東京に本社オフィスを構える必要性が薄れるはずだ。そのほうが、クラウドワークを普遍化させようという昨今の動きとも合致する。

そう考えると、5Gの登場で伸びる企業と脱落する企業がまた出てくるんじゃねえか。